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| 2.Jun. Thu 【二子山親方告別式】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 昨日、フィリピンから帰って来てすぐ、二子山親方告別式のお話があって、今日は朝から青山葬祭場に向かう。ミンダナオ島で知った親方の死。何とか告別式には間にあってよかった。報道では兄弟2人の対立が問題になっており、実際に若貴兄弟の仲が修復出来ない程に悪化しているのは2人のコメントから、何より態度から明らかだった。 15年も前から花田家を追い続けている僕としては非常に悲しいことだと思う。何より、花田勝ファミリーと花田光司ファミリーが対立して従兄弟達まで対立しちゃうとしたら、それは可哀想だな、と父親によく似た7人の子供たちを見て思った。杞憂だといいのだけれど。 戦後の相撲の歴史は花田家なくしては語れない。若乃花がいてこそ栃若の隆盛があり、貴ノ花がいてこそ大鵬→北の海→千代の富士の時代がつながったし、そして若貴兄弟がいてこそ平成の隆盛があった。昭和20年代末から連綿と続くその歴史の中の、極めて重要な局面を実際に見られたことを光栄に思う。 今後、2人の仲が良くなることはないと思う。花田家は終わった、とか言う人もいるが、それでも僕は、目の前に並んだ65代、66代横綱の今後の人生をこれからも追い続けるだろう。 |
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| 1.Jun. Wed 【東京へ】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| マニラから飛び立てば、およそ4時間ちょっとかけてアッと言う間に東京に着く。ダバオから東京まで、1日で着いてしまったことになる。南方の僻地、ミンダナオは、もはやその程度の遠さでしかない。しかしわずか60数年前、多くの兵達は1ヶ月もかけてこの島へ船で向かい、そして帰ることもできなかった。結局、山川中尉も中内一等兵も、この距離を、再び戻ることはできなかったのだ。 詳細はコチラへ… |
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| 31.May. Tue 【海辺の村】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| この国の小学校は3部制だとやらで、朝学校に行く子、昼に行く子、午後に行く子、とわかれているらしい。それにしてもこの子達がみんな学校に通っているかはわかんないけど、そんな訳でフィリピンにはいつでもどこにでも子供達の笑顔がある。海辺で洗濯をしていた子、波間にプカプカと浮いていた子、追いかけっこをしていた子供たちがワーっと集まってくる。そして臆することなくカメラにものすんごい笑顔を向けてくれる。やっぱりこういう写真撮っているときが一番楽しいなぁ…というのが正直なところ。 詳細はコチラへ… |
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| 30.May. Mon 【夜の教会】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 取材の中、ある人物を探して夜の教会を訪れた。夜のミサはロウソクの明かりだけを頼りに行なわれており、とっても幻想的な雰囲気。そこで、善男善女的な人々が集まって神に対しての行ないを報告したりしている。 このミサで演壇に立っている人から、名前を聞かれた。僕は名前を名乗る。すると、出席者から「歓迎の歌を歌おう!」という声が上がる。みんなは「そうだそうだ!」となり、いきなり「よーこそー♪ミンダナオー♪(←勝手に頭の中で翻訳)」と歌い出す。そして歌いながら、みんなが僕のところに来て握手を求めてくる。 詳細はコチラへどうぞ… |
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| 29.May. Sun 【ミンダナオ島にて】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 南海の果てまでやってきたものの、なかなか自由に動き回る事もできずに、今日の僕の職場はとある一軒のホテルとなる。朝からこのホテルに入り、情報収集に務めるのだ。外に出れば美しい日差しもあるだろうに、ちょっと悲しい。でも、ビデオのカメラからパソコンから持ち歩いているので、そんなものぶら下げて外を歩く訳にもいかず、さりとてそれをホテル内に放置して移動することなどできず… 詳細はコチラへどうぞ… |
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| 28.May. Sat 【ミンダナオ島へ入る】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ところで、今回我々が向かっているのはミンダナオ島。フィリピン南部にある北海道の1.5倍程の巨大な島である。外務省の渡航情報なんかを見てみると、わざわざこの島だけをクローズアップして細かい情報が出ていて、中心都市のダバオ以外のところはほとんど色づけされている。要するに、「渡航の延期をお勧めします」ということだ。山岳地帯に複数のゲリラが潜伏していて、政府の統治能力も及ばないのだそうだ… 詳細はコチラへどうぞ… |
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| 27.May. Fri 【そして出発】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ケビン飯生活も今日で10日目、ということで朝からハンバーグなどを焼きまくる。昨晩、肉のハナマサで大量買いしたササミとタマネギとマッシュルームと混ぜて重量1kg!ハンバーグ屋になったような状態でせっせと焼いていると電話が鳴った。「あの、日本兵のアレで…」「!」アレといえば、フィリピンの奥地で日本兵らしい人が発見されたらしいことは、ニュースでぼんやりと知っていた。そういう事で、今日中にマニラに入ることと相成る。とりあえずササミハンバーグ(←まだやってる)を弁当箱に詰め、残りは冷凍にしてバーっと旅支度。 パンツとかシャツとかよりも、撮影機材なんかをちゃんとしないといけないので、結構大変。デジカムはフル充電してあってよかった。 会社に行って情報と段取りを頂いて新幹線に飛び乗って名古屋へ。今日の便は名古屋からのしかなかったのだ。名古屋からは名鉄特急でセントレア空港へ。流石、最新空港だけあって電車から空港ターミナルへのアクセスは素晴らしく、駅を降りてちょっと歩いたらもう出発ロビーだ。しかし、そこから先が大変だった。チェックインした後で、係の人が「ちょっとこちらでインタビューを…」と言って別場所に連れて行かれ、チケットの事やら渡航の事、荷物の事や一緒に行く人とはいつ知り合ったのか?などとしつこく聞かれる。 さらに、税関通って飛行機に乗り込む寸前になっても別の場所で荷物検査(3回目)。どうやら、当日チケットを買ってしかもオープン、という客は「高飛び目的の人」かどうかをチェックされているようだ。同じように取材陣っぽい人達もそこかしこでチェックをされていた。しかもチェックの段取りも悪く、結局出発までのほとんどの時間をチェックで費やしてしまった。「セントレア」なんて2度と来るか!と思ったが、これはセントレアが悪いのではなく、マニラ行きオープンチケットが悪い、ということなんだろう…。こんな激しいチェックを受けたのはイスラエルのテルアビブ空港以来だと思う。 で、飛行機は何とか出発し、4時間かけてマニラの空港へ。やっぱり取材陣風の人が多い。治安が悪く、大使館もなるべく夜の移動を避けるように、と言っている中、どうやって移動しようか悩みつつ、クーポンタクシーというのを使ってホテルへ。ここで地元在住のコーディネーターさんと、タイから来てもらったカメラマンさんと合流、打ち合わせ。 チェックインしたのは午前0時。その後打ち合わせをして、スパゲティー(!)食べて、部屋に帰ったらもう寝る時間1時間も無い!! そんな訳で豪華な部屋(スイートみたい)で1人、日記を書くのでした。あと30分でミンダナオ島に向けて出発であります。 |
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| 21.May. Sat 【DVD化】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 夜、愛宕のアンコちゃん家でDVD化された例の結婚式ビデオ鑑賞会。今回のビデオ制作ですごいのはこのDVDで、市販のビデオ並みのメニュー画面から特典映像として写真を使ったスライドショー、そしてJJ関係者のオメデトウコメント集まで付いているのだ。 使っているうちにいつの間にか覚えてしまったiDVDは本当に凄い。個人でハイクオリティのDVDが焼けてしまうのだから。ひとしきり見ながら、刺身や自分で作ったハンバーグをつまむ。ピザが美味しそうだったけど食べられないので悲しく諦める。 |
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| 20.May. Fri 【ちゃんとするキャンペーン2】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 昼から「TIECHEL」。早い話が美容院である。同い年なのに自らの店を持って活躍する青木ダイスケ氏にカットしてもらう。すごく良い。しかも僕は今日、誕生日だったのでプレゼントとしてワックスまでもらっちゃいました。ありがとうございます。 昨日買った服を着て、さっぱりとした頭で出社したところ、「爽やかになった」という趣旨の発言を5回ほど浴びる。「ちゃんとするキャンペーン」の効果絶大である。 さて、誕生日なので抱負とか考えてみる。去年の日記見てみると、「写真でどこまで行けるかやってみる」とある。あれを書いた時点では、少なくとも去年のうちには写真集も出すつもりだったんだと思う。結局そのまま今に至るのであるが、少なくとも夏には出せそうなので、とりあえずその抱負を継続させるようにしよう。 そして、「ちゃんとするキャンペーン」を続けること。服や頭だけでなく、色んなことをちゃんとさせようと思う。とりあえず最近、料理をちゃんとするようになった。(ケビン飯用だけど) |
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| 19.May. Thu 【ちゃんとするキャンペーン1】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 昨日(18日)に久々でトータルワークアウトへ行く。1ヶ月も間が空くと全ての筋肉が弱っているため、とてもしんどい。軽め軽めと言いながらかなりハードなトレーニング。そんな訳で今日は体中で筋肉痛となっている。 重い体をひきずって会社で雑務をこなした後、青山へ。今まで忙しくて部屋はボロボロ,髪は伸び放題、洗濯たまりまくりという状況になっているのでこれを打開するキャンペーンの第一弾として新しい服を買うことにしたのである。とはいえ、行ったことのないお店とかに入るのは苦手だし、だいたい服に関する知識が薄いのでコーディネーターとして妹のよーさんに登場頂く。彼女はファッション業界で働いているし、周りにスタイリストとかいっぱいいるし、こういう時に便利な人材である。 限られた時間で何軒か見て回り、結局骨董通りに先月できたお店で色々と買い込むことに。いつも、ちゃんとした服買っても洗濯で駄目にしちゃうことも多かったので、洗濯の仕方をしつこく聞きながら、結構いい買い物が出来ました。せっかく青山にいるのでクアイナバーガーを食べたいところだが、涙を飲んでケビン飯。 |
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| 17.May. Tue 【鍼でクラクラ】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ようやく、体を休めることができた。思えば尼崎の少し前くらいから大変に忙しくなり、仕事か取材か編集か、写真集の打ち合わせか、という状態でそれ以外のことが全然できなかったのだ。思えば、この1週間で3徹はしているので体はボロボロ。そんな訳で夕方に起きて、久々に鍼に行く。いつもの先生に「史上最悪に張ってますね」と言われる。 いつも腰を中心に打ってもらうんだけど、今日はなかなか効かなくて勿体ない。頭も色んなところでうっ血しているそうで、トントントン!と何本か頭頂部に鍼。そして起き上がると頭がクラクラ、目がくらみ、耳が遠くなる。いきなり血行が良くなったからだそうで、改めて鍼の効果と怖さを知る。 その後、友達とごはん。眠い眠いと言いながらも結局2時くらいまで。明日からケビン飯(炭水化物と脂質を抜く食事)生活だー。 |
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| 14.May. Fri 【遂に本番!】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 結局、カンテツの末、昼前に完成!いつもならここでギリギリで式場に駆け込むところだが、今日は夜の式なので助かった。一旦出社して仕事をバーッとやる。それと、式の時にちゃんと流れるかを普通のモニターでチェック。 式場には集合時間の1時間前に入るのが恒例になっている。式場係の人とモニター通して最終チェック。映写するタイミングなどを打ち合わせ。今回はスクリーンが小さいのが残念だけど、まぁ、普通こんな感じなのであろう。 |
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| …それにしたってビデオの事しか考えていなかった。なので、挨拶をきちんと考えていなかった(これはいつもアドリブで何とかするんですが)どころか、スーツを上下違うのを着てくる始末。しかし式は進行し、結構感動的な挨拶の後でいよいよ最後にビデオとなった。 15分38秒にまとめられた2人の生い立ち、仕事風景、そしてこれからへの決意。笑いどころと泣きどころ満載のビデオ、どうやら楽しんで頂けたようで、よかった。こうして長い約束を果たすことができてとても嬉しい。しかし、恒例となりつつある「JJ編集部結婚式VTR」。来年は誰のを作ることになるんでしょうか?? |
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| 13.May. Thu 【編集】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 東京に帰って以来、常に頭の中にあるのが間近に迫った「結婚式ビデオ」の編集である。文字や写真でどのように伝えたらいいのかわからないんだけど、とにかくかなりちゃんとしたものを作ろうとしているので(テレビとかで普通にオンエアしても何ら問題のないレベルで)取材も大変なら編集も大変。特に、ナレーションもBGMもテロップも入れこんで業界で言う所の「完パケ」にしなくてはならない。 勿論、家にいる間はほとんど迷わず机に向かって編集、といった生活になる。2日間に一回うたた寝に近いような睡眠をとれれば十分、という日々が続く。パソコンで編集するのは1年ぶりなんだけど、15分半のVTR作るにはどうしたって2晩は徹夜することになってしまう。(今回は編集台本をちゃんと作ったのでやりやすかったけどね)2人にとっては一生に一度の作品。責任もってしっかりやらなくては…。 |
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| 9.May. Mon 【花畑】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 今日であの事故から丸2週間が過ぎた。本当に早いな、と思う。線路の上には献花された花が並び、異様な花畑を作っている。ビニールに覆われた花々が強い風に吹かれていた。そんな中、あの事故で傷つけられた人が介護車に乗ってやってきた。車いすでようやく献花をし、手を合わせたこの人の姿は、2週間経とうが苦しみは決して変わらないということを改めて教えてくれる。 この事故を風化させてはいけない、と思う。犠牲者の悲劇、遺族の嘆き、生存者の苦しみや事故原因、JR西日本の体質、激突されたマンション住民というもう一つの被害者問題…。報道された様々な事は、しかし何一つ解決されていない(解決できないものもあるだろう)。2005年4月25日の朝、起こったことを、決して忘れないでいようと思う。電車に乗る時、もしも自分の乗っている車両がそうなったら…と考えながら。 最終便で帰京した。 |
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| 8.May. Sun 【色々と出てきて…】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 相変わらず、「不適切」な行動がクローズアップされる。で、事故当日にJR西日本社員らが国会議員を交えて宴会をしていたということが明らかになって、急遽丹波篠山まで行ったりする。これはプライベートだからJR西日本としては問題としないそうだ。 今日は母の日。沢山の、本来ならば普通に「母の日」をお祝いしたり、されている人が、電車に乗っていたが為に亡くなった。泣きながらカーネーションを手向ける人が大勢いた。 |
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| 7.May. Sat | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 6.May. Fri 【再び現場へ】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 朝、東京を出れば昼前には現場へ来ることができる。昨日は「JR西日本職員が事故を知りながらボーリング大会」報道一色で、今日以降もまたそれをひきずりそうな感じである。夜、本社で開かれた記者会見で新たな「不適切」な行為が多数示された。ゴルフコンペ、懇親会…。どれもこれもが問題だ、というつもりはないが、確かに不適切ではあると思う。あるんだけど…。 この事故の原因は何だろう?と考えた時、「JR西日本の体質」に帰結する、という考え方は確かにあると思う。信楽鉄道のような事も今回のような事もJR東日本では起こっていない訳だし、ATS-Pの設置を怠っていなければ、こんな事は起こっていなかったはずだ。 僕たちの生活は、年を重ねるごとに変化してきた。「昔は不便だった」ことが、「今では当たり前」となってくる事が、いくつもいくつもある。それは自動ドアが回転ドアになったこともそうだし、電車が速くて安くなることもそうだ。しかし、その奥で、どこかに「無理」が生じていることに、僕たちはあまりにも無頓着すぎた。便利さを礼賛することで、それを支えるエンジンが煙を吹いていることに気付くことができなかった。 JR西日本の体質、というものは確かに大いなる原因だし、改善されねばならないことだと思う。しかし、「速く安く便利に」ということだけを望み、その裏の疲弊に気付けなかったという事実も、心に留めておきたい。 |
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| 5.May. Thu 【目黒にて】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| いきなりうってかわって、という訳ではないが、今日は仕事を休ませてもらい、東京で結婚式ビデオの撮影を行なった。この事故報道で尼崎に行きっぱなしになってしまい、撮影自体できるかどうかという瀬戸際だったので、何とか成立して良かった。恵比寿や渋谷で様々なシーンを撮る。 しかし、離れれば離れるほど「現場」も気になる。駅で新聞を全紙買い、時々テレビの音声をモニターしながらの撮影。それでもやるからにはちゃんとしたものを作ろうと、色々カットを考えながらやったんだけど。 この大事故の最中に個人のための結婚式ビデオを作る、という行為は僕にとってとても意味のあることだ。上手く言えないけど、失われていくものばかりの世界の中で何かを生み出したい、ということなのかもしれない。これを読まれている方には、尼崎を取材して、結婚式ビデオを撮って、という流れに違和感をもたれることもあるかもしれない。しかし、2人にとっての一生に一度のビデオを、結婚式に間にあわせるということも、かけがえもなく大切な事なんだと思う。 |
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| 4.May. Wed 【一時帰京】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 尼崎に来て丸一週間が過ぎた。車両の撤去が進む中、亡くなった方々や生存者の方々の報道が続けられている。そんな中、とりあえず一度東京に戻ることに。伊丹空港にすべり込み、アッという間に羽田。モノレールの車窓は別世界の感があった。しかし、この夜からあの「ボーリング大会」問題がクローズアップされてくる。深夜に始まった社長会見。その様子をモニターしながら2時間程が過ぎる。 確かに内容は「不適切」な事象だし、被害者やこの事故に関わらざるを得なかった人達にとっては信じられない事だと思う。JR西日本としても謝罪するしかないところだろう。ただ思うのは、ひどい記者会見だったな、ということ。色んな意味で「ひどいな…」と思う事が何度もあった。本質を忘れないようにしたいと思う。 |
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| 3.May. Tue | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 2.May. Mon 【目撃者】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 徹夜で編集、その後現場へと再び向かう。体力的には大変だが、この事故の大きさを考えるとそれくらいは当たり前、と自虐的な気持ちも芽生える。昨日とうってかわっての晴天がまぶしい位だ。 この事故を直接見たという人、何人かに話を聞いた。一瞬にして起きた信じられない出来事を、そのまま語るのはとても難しいだろう。我々が、1両目がどう突っ込んで2両目がどうなって…と、いった興味をぶつけてみたところで、実際はCGとは違い、脱線→激突は数秒の出来事だったのだと思う。その光景、音、臭いの記憶を集めて再現しようと思っても、やはり想像を絶する。 事故現場から車両が移動され、どんどん片付いて行く。あの事故から丸一週間が経った。 |
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| 1.May. Sun 【雨】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| かなり激しい雨が降った。昨日から線路の側に献花台が設けられ、事故に巻き込まれた人達やその関係の人達、近所の人達などがやってくる。そして、横に立っているJR西日本の社員が深々を頭を下げる。もちろん、彼らが何か悪い事をした訳ではないのだが、雨に打たれながら本当に申し訳なさそうに頭を下げる姿に、こういう一般社員にもPTSDのようなものが起こるのでは?とも思った。 現場では車両がある程度片付いて反対側の状況などが落ち着いて見られるようになった。折れた電柱が、この電車が斜めに傾きながらやがて真横になり、マンションに突っ込んで行った様子を表しているという。今日はそのまま大阪で編集。雨に濡れた服を乾かす暇もなく、ひたすら画面に向き合う夜が流れる…。 |
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| 30.Apr. Sat 【偶然】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 4月25日、列車は伊丹駅でオーバーランをした。いつもの駅のいつもの場所で待っていた人達は、それにつられて一斉に前方に動いたという。「あれ?」と思いながらツツツ…っと動いたのだ。ただそれだけの行為が確実に何人かの人を「死」に追いやったのだと思うとやりきれない。 少なくとも僕は、電車に乗る時1両目に乗ろうとか3両目に乗ろうとかは、あまり考えない。たまたま1両目に乗ることもあれば、5両目に乗ることもある。そして、降りてしまえば自分がどこに乗っていたのかなんてことは簡単に忘れてしまう。しかし、この事故に関して言えば、2両目と4両目では天と地ほどの差があった。マンションの壁に張り付くように潰された2両目と、死者を出さなかった4両目以降(上の写真は4両目と5両目)。普段意識することなんてほとんどない「車両」や「車内での位置」が生死を決めたのだ。 1両目に乗っていた生存者に話を聞いた。訪ねたその彼の部屋は本当に普通の若者の部屋で、韓国映画やスキージャンプペアなどのDVDが置いてあった。もしかしたら彼は、この部屋を出たきり帰らなかったかもしれないのだ。そんな日常の中にある血染めのバッグ。「生き残った、というより生き残ってしまったという気持ち」でいると、彼は語った。「それでも生き残った責任を果たしていきたい」とも。 その日、彼に届いたメールは500件を超えたという。「生きているなら返事をくれ」。簡潔な内容が切迫した状況の空気を伝えてくれた。生き残った人達の闘いもまた、続いている…。 |
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| 29.Apr. Fri 【日常の壊れる時】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| それは、極めて日常的な風景の中に佇んでいた。すでに事故発生から5日目。ゴールデンウィーク初日の夏を思わせる暑さの街の中に、異様な姿をさらしていた。その車両は、かつて僕も通勤に使用していたものと同じ、見慣れたあの電車だ。それが、瞬く間に信じられない光景を作り出してしまった。いつものつり革やいつもの中吊り広告が、置き去りにされた車内で所在無さげに揺れている。死者は107人を数え、重傷で入院している人も100人を超える。 少し離れてしまえば、コンビニやファミレスに家族連れが集う普通の街。でもこの空間には、犠牲者の家族、友人、JR西日本職員、激突されたマンションの住人、マスコミ…様々な人が様々な思いで行き交う。どんな理由があったのかはまだわからない。ただ、あの時、スピードがもう少し遅ければ、この電車はマンションの前をいつものように通り過ぎ、1分30秒遅れで目的地についたのだろう。それだけの出来事だったはずなのに。 ほんの一瞬の出来事が、多くの人生を決定的に変えてしまった。 |
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| 28.Apr. Thu 【尼崎へ】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 新幹線で新大阪まで行き、そのまま東海道線で尼崎へと向かう。ホームに到着した時、3両目が目の前に来たんだけど、思わず4両目まで移動。特に1、2両目に乗る人は心なしか少ないな、と思う。 尼崎の駅は、明らかに空気が違っていた。この駅でつながっているはずのJR福知山線は復旧の目安も立たない。その路線の利用客に対応するため、時刻表を抱えた駅員がいたる所に直立不動で立ち、緊張の眼差しで乗客の問い合わせを待っている。この人達が悪い訳ではないのに、まるで重大な犯罪を犯したかのような顔をして、今更来ることもないだろう、福知山線利用者の対応をやっているのだ。列車脱線事故の犠牲者は100人を超えるとみられていた。 そのまま僕が向かったのは尼崎総合体育館。現在、遺体安置所となっている場所である。現場で収容された遺体は全てこの体育館内の安置所に運ばれてくる。そして、自分の家族や友人の突然の死を確かめたいという人達が、ここに来た遺体を確認するのだ。何体の遺体が入ったとか、高見運転士と思われる遺体が発見された、などの情報が次々と入る中、長い一日が過ぎる。普段なら単なる体育館であるこの場所。それが、ブルーシートで覆われた異様な空間になっている。不安気な顔で入って行く人、誰かの「死」を確認して涙を流しながら出てくる人。 ただ、電車に乗っていたというだけで命を絶たれてしまうなんてことを、納得なんて出来る訳がない。そんな中、垣内社長もやって来る。今回の事故だけでなく、JR西日本の様々な問題が吹き出して来ている。「日勤教育」という名のイジメが今回の事故を招いたという見方もある。ただただ頭を下げる社長。結局、106人の死亡が確認された。 現場では、一般のJR職員も苦しい立場に立たされていた。涙目で半分泣きながら対応する職員もいて、その心中は同情できる。自分の会社が、とんでもない事をしてしまい、そして自分の目の前に遺族がいて…。修羅場と化した尼崎総合体育館。長い夜だった。 |
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