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30.Jun. Thu 【大阪へ】
 昨晩色々あって目覚めた気分はかなりブルーな感じ。それでも6時半の新幹線に乗って大阪へ向かう。不動産屋で書類にサインして鍵をもらって大阪の部屋へ行くと、既に引越屋さんが待っていた。「これはどこですか?」「これはどうしましょう?」という問いに明確な答えも出せず、とりあえず置いといて下さい、みたいな感じで搬入完了。引っ越しって荷作りさえ出来たら簡単なんだなぁ、と思う。
 昨日の東京の雨とうってかわって大阪は快晴。片付かない部屋でソファに座っていつの間にか眠ってしまう。ここ何日かのバタバタと落ち着かない日々で、かなり疲れがたまっているなーと思う。トイレットペーパーも石けんもないので、近所に買い物がてら出かける。繁華街からちょっと奥に入ったところにあるこの街は最近賑わい出したオシャレスポットとされており、石を投げればカフェに当たる、という位にカフェが多い。代官山とか自由が丘とか、そんな感じの街らしい。
 もう7、8年前のことになるが、僕はこの街のあるマンションを取材した。そこは解体が決まっているとかで、とにかく住民は「何をしてもいい!」とされていて、アーティストが各部屋で壁をはがしたりペンキ塗ったりして好き放題に暮らしていた。
 フラフラと歩いていると、そのマンションらしき建物が真っ黒に塗られてオシャレマンションにリニューアルしているのに出くわした。なるほど、僕はあの頃、この街の黎明期に立ち会っていたらしい。
 夜、スーツに着替えて出社。今日は新しい部署の歓送迎会があるのだ。緊張の宴会があって、その後はボーリング大会(なぜか)。深夜、ホテルではなく、自分の部屋に帰るのがとても不思議な感じだった。
29.Jun. Wed 【出て行った荷物】
 朝から雨。引越し屋さんが来て、テキパキと荷物を運んで行った。何故だか朝から体調が悪くて声もガラガラで(多分、埃っぽいから)体が動かないのだが、それでも引越屋さんは次々に荷物を運んで行く。こちらは隅っこでゴローンとしているだけで、部屋がみるみる空っぽになる。こうしてみると、やっぱり家は結構広かったんだなぁ。
 昼過ぎには運ぶべき荷物は全部トラックに乗り、大阪へと旅立って行った。僕は世田谷区役所へ行って転出届けをもらう。ここで母と合流。実はまだまだ実家に運ぶ荷物があるので手伝ってもらうのだ。目黒通りのスタンドでガソリンガソリン入れて、駒沢のフレッシュネスでネギミソバーガー買って再び部屋へ。
 ガランとした部屋にはテレビもラジオもないので静かだ。いるもの、いらないものと、選別をしつつ大変心苦しいながらも抜け出して会社へ。そして友人とご飯。結局帰宅したのは夜中になって、ガランとした部屋で毛布にくるまって眠る。
28.Jun. Tue 【アロワナ問題】
昨日から荷作りラストスパート。今の家には収納がわんさかあるから、出てくる出てくるで大変なコトになる。
その多くを「捨てる」モノと実家に「置いておく」モノとに分けて運んで…と大忙し。
何てったって120cm水槽のアロワナを移送するのは至難の業であった。

午前10時、一気に水を抜き、アロワナをバケツに移して重たい水槽を車で移動。移動先のスペースが水槽置くのにギリギリで、汗だくになりながらなんとかねじ込む。
そうこうしながら12時10分に会社から電話。「そろそろお店に移動しますよ…」「!!!」そうだ!今日は所属部署の送別昼食会があるんだった。
Tシャツ短パンにサンダルといういでたちで電車を乗り継ぎ、近代的なオフィス街に直行。日本料理屋さんにズラリと並んで会食する皆様の元へ馳せ参じる。
新しい局長とか初対面なのに、こっちはボロボロの格好。しかも裸足という夏休みの子供スタイル。
またやっちゃった、という感じではあるが、挨拶は朗々と。皆さんへの感謝と、今後への抱負と。
後輩に「どこまでマイペースなんですか!」と言われる。

で、懐石みたいなのをガーっと食べてそのまま実家へ戻る。戻ると水槽の位置は決まり、水も入っていた。本当は水を全部取り替えるなんていうのは一番やってはいけない事だし、魚へのショックも大きいのだけれど、急ぎの時はこうするより他ない。

「よし!」と決意を固めてバケツのフタを外すと、何とアロワナ君はお腹を横にして苦しそうに浮いていた!さっきまであんなに凶暴に暴れていたのに、ほとんど虫の息。
「えええ!!!」どうやら水温の変化と酸素の少なさと移送の揺れ、全てがこの魚の力を奪ってしまったらしい。
ここまで大掛かりな作業をして、当の本人が死んでしまっては悲しすぎる。

慌てて水槽に入れるも、プカーと浮いて、濾過器のわずかな水流に抗う事も出来ずに流されている。
その荒い呼吸を見ながら、暗澹たる気持ちになる。

しかし片付けもしないといけないので、再び家に戻って引っ越し作業を続ける。実家に置いておくものが多すぎて、大丈夫なんだろうかという感じ。今、実家はゴミ屋敷みたいになりつつある。
テレビも外してしまったので、黙々と作業。結局深夜までかかる。

そしてその中で、実家で瀕死だったアロワナ君、何と「元気に泳ぎ出した」との報が届く。何とか持ち直してくれたらしい。
よかったよかった。しかし、世田谷区内移動でコレだから、大阪まで運ぶなんてコトは,土台無理だった訳だ。
28.Jun. Tue 【あの角を曲がって】
 タクシーだったり、自分の車だったり、いつも家に帰る時は246で環八を測道で越えて、交番を斜め左に。最初の角を左に曲がって、信号越えた次の角を右。そうしてしばらく進むと我が家に着く。僕は一体、何度この道を通ったのだろうか。曲がり角のゴミ捨て場で、いつも「あっ明日は燃えないゴミの日だった」と気付いたり、遠く富士山まで見通せる階段のある丘からの景色を僕はよく写真に撮った。
 二子玉川は良い街だ。子供の頃から好きだった。小学校からよく通っていたし(今は人工的になってしまった大きな池が遊び場だった)高島屋には人生の端々で思い出がある。そう言えば,「二子玉川に通いたい」という理由だけで自動車学校を二子玉にしたこともあった。
 明日は引っ越し屋さんがやってくる。徹夜で荷物をまとめなくては。
27.Jun. Mon 【片付けスパート!】
 やはり、月曜は自分の担当曜日だったこともあり、オンエアが気になって朝早くから会社へ行く。編集室をウロウロしながらオンエア、そして会社の片付け等々。家の中でも手一杯なのだけど、会社の机もかなり色んなものがたまっている。プロテインシェイカーからイラクの資料までもうグチャグチャ。いるかいらないか迷うものは捨てちゃえ!みたいな感じでズバズバと。
 しかし、引っ越しって物理的作業としてものすごい労力だなぁ。友達の加藤ゆみこさんが今度個展を開くので額を借りに来た。今はちょっとでも荷物が減るとうれしい。加藤さんの個展が見られないのが残念だけど。パレットクラブのみんなともお別れ会したかったけど…と言いつつバタバタとお別れ。でもちょっとでも会えてよかったよね。
 そんな感じで僕が片付けに集中していないのを見かねて両親が手伝ってくれた。うちの親はまだ50代と若いしテキパキしているので、気がつくと色んなことが進んでいてありがたい。それにしても、いらないものも、取りあえず東京に残しておくものも、全て実家に持って行くので我が家は今やゴミ屋敷状態だ。
26.Jun. Sun 【東京都写真美術館】
 何が心残りという訳でもないのだけれど、気になる展示もあって夕方、恵比寿の『東京都写真美術館』に行った。ここ1年で撮られた報道写真の展示を見るのと、恵比寿のやまよー骨折の現場検証のためだ。とりあえず三越の床はツルツルで、確かにこれは危ないなーと思う。
 『写真美術館』ではやはり昨年のロシアの学校占拠事件の写真が気になる。できれば今年、この現場へ行って写真を撮りたいと考えているのですみずみまで気になる。来週の自分のこともよく分からないのに、そんなこと考える余裕はないのだけれど、少しでも自分のペースを崩したくないので、無理矢理考えているところもあるのかもしれない。
 とにかくPO-Uはどこへ行ってもPO-Uとして活動を続けて行くのだ。別れを惜しんでくれる友達に、今日はそんなことをずっと話していた。
 そんなこんなで、今日も片付け進まず…。こんなことでいーのでしょうか?
25.Jun. Sat 【JJ編集部のみんなと】
 連日、お別れ会が続く。今日はJJ編集部のみんなと、旧友が集まってくれた。編集部からは山村氏、あいちゃん、お羽、元編集部員のよーさん(妹でもある)、そしてあんこ。その夫でもあり同級生のくぼぞう、同じく同級生のおぎん、同じくやまよー。
 場所は愛宕グリーンヒルズのフォレストタワー。とりあえず男性陣は住居としてあり得ない位に並んだエレベーターの階数ボタンの一番上を押して最上階へ。このマンションにはフィットネスクラブとプールが付いていて、住民はこれを自由に使えるのだ。どうみてもその辺の高級スポーツクラブのようなその内部。窓の外には東京タワーを目の前に、美しい夜景が広がっている。とりあえず、やることもないのでひたすら泳ぐ。そしてサウナ。
 そんな感じで高級マンションをエンジョイしていると、フロントの人がやって来て「お友達が集合されたとのことです」と伝えてくれる。わざわざ御丁寧に、と思いつつウダウダしていると、再びやって来て「緊急事態だとのことです」と言う。緊急事態って…!と言いつつ大したことではないだろうと話しつつ切り上げる。
 しかし扉をあけるとあんこが血相を変えてやってきて「大変!やまよーがアイス買いに行って骨折しちゃった!」と一言。何と、恵比寿の三越の床があまりにもピカピカだったため、いつものように「フンフフンフフーン♪」と歩いていた彼女は、転んで骨を折ってしまったのである。思わず「やまよーらしいね」と言って顰蹙を買う。しかし、人事異動が思わぬ波紋を巻き起こしてしまった。やまよーには赤ちゃんもいるから、抱っこできずに大変である。
 骨折の一因を作ってしまい、ごめんなさい。
 そんな波乱含みの展開で宴はスタート!みんなで手分けして作ってくれたごちそうを食べながらよもやま話。思えば僕はここに集ったあんことやまよーと山村氏、3人分の結婚式ビデオを作ったのだ。東京勤務だった6年で考えれば合計10本、20人分になる。20代後半〜30代前半という時期がちょうどそういう時期とマッチして、丁度良かったね、と思う。
 プレゼントとしてこないだJJモデルの絵里ちゃんと樹里ちゃんと一緒に撮ってもらった写真を額に入れてもらった。どうもありがとう。大切にします。そしていつかまたここに戻ってきます。
 そして、何故か韓流ドラマ『悲しき恋歌』を観賞、やがて夜も明けて早朝の愛宕の街でタクシーに乗る。愛宕山のお寺には行きたいと思っていたけど、結局行くことはなかったな。そんなことを思いながら薄曇りの東京の朝を走った。
24.Jun. Fri 【大阪→東京】
 最近、気がつくと新幹線のホームにいる、という感じ。今日も新幹線に乗って、そのまま東京の会社に出社。そういえば、会社に来るのは月曜以来だ。事務的作業を色々とする。僕が進行役をやっていた会議もとりあえず今週でおしまい。今後の方向性などを整理しておく。
 その後も大きな会議があって、僕はてっきりそこで「別れの辞」を述べるのかと思って用意していたのだが、それは来週催される歓送迎会でやることになって、とりあえずは事なきを得る。でも、この会議に出るのも今日で最後なのは確かだ。
 最近、毎日必ず居酒屋にいるような気がする。炭水化物抜き食はどこへやら、今日も居酒屋メニューで胃を満たす事に。でも、こういう機会に一人一人にきちんと「お別れ」をしていくことは重要だと思う。本当、6年間という間に蓄積された絆というのは、素晴らしいですね。
 来週また会える、というのがあるから悲しくはならないけど、確実に僕のココにいられる時間は少なくなってきている。それをきちんと自覚して残り時間を有効に使って行こう。(前向きにね)
23.Jun. Thu 【東京→大阪】
 そのまま本に埋もれて眠り、目覚めてまた夢遊病のように本を箱に詰める。14箱は多すぎるような気がするなぁ…と思いつつ、売れそうな本はブックオフへ。3000円くらいにはなったが、売れないものも多かった。もうヤケだ。
 そんな事しながらも午後3時の新幹線に乗って大阪へ。今日は新しい部署の顔合わせがあるのだ。ちょっと早目に大阪入りして、まずはこれから住む場所での駐車場探し。いいところで5万円、相場で月に3万5千円、といわれるこの界隈、しかしインターネットの力で2万5千円の物件を見つけたので、チェックをしに行ったのである。「どんなボロい駐車場なんだろう」と思って行ったらこれが相当キレイで新しい。なんでこれが安いのか不思議だけど、とりあえずこだわらずにココに決めようと思う。その後、駐車場から新居まで、新居から会社までをそれぞれストップウォッチで計測。会社まではドアドアで20分というところか。
 そのまま緊張の会議、挨拶。新しい職場は覚えることも沢山ありそうだし、やはり大変そうで、より一層緊張する。同じ会社で10年間やってきて、それでも部署が違えば極端な話、違う会社みたいなものだったりもする。きっと今の心境はほとんど新入社員のソレに近いと思う。
 その後、若手の人達と食事へ。わからない事だらけの疑問を色々と聞く。そして今日は大阪泊。最近トレーニングできていないので、腹筋だけは頑張る。
22.Jun. Wed 【息抜き】
 朝、大量の段ボールが届き、ついに引っ越し準備を本格的に開始する。とは言え、やっぱり本棚に全ての労力は集中する。こないだ300冊ほどをブックオフに売ったとは言え、まだまだギュウギュウの本棚。それをかなり厳しい視線でチェックし、通過したものだけを段ボールに入れる。
 結局14箱にもなっちゃったけど、大丈夫なんかいな?とかなり不安。向こうでまた捨てないと駄目かも。
 夜、慶應大学でメディアを目指す学生達の勉強会へ参加。僕は、毎年大手マスコミに人材を排出するこの勉強会の一期生なのである。気付くと三田の教室でボーッと立って自己紹介している自分。途中で「シャキッとせねば!」と思い、思いつくままに色々と話す。正直、テレビの何をどこまで話したらいいのかわからずに手探りな感じ。いっつもそうだけど、後半は質問へ。
 メディアを勉強する学生だけあって、もう「学生バリバリ」な質問なんかもあり、こちらもその刺激を受けながら頭を活性化させて自分の仕事を問いつめる。「初心」を思い出すいい機会なのかもしれない、と思う。
 「ドキュメンタリーというのはどの部署で作れるのか?」という質問があった。それに対して、僕はドキュメンタリーというのは「卵料理」みたいなものだと答える。和食でも中華でもフレンチでも卵料理は基本であり、なおかつ到達点でもある。同じようにドキュメンタリーというのは制作でも報道でもスポーツでも基本中の基本であり、なおかつ最も難しい到達点でもある。これは我ながらいい例えだな、と思った。
 家に帰ってふたたび段ボールの山と向き合う…。
21.Jun. Tue 【営業マンの人々】
 引っ越し屋さんの見積もりをとってもらう日。会社の方針で、複数社の見積もりをとらなくてはならない。今、便利なものでインターネットでちょちょっとやれば、同時に6社ほどの引っ越し会社にアクセスできる。
 よく考えるとそれだけ来られても意味ないので、ちょっと断りつつ、結局今日、3社が見積もりにやって来た。初対面の人に散らかった家の中を見せるのはかなり恥ずかしいものがあるが、こればかりは仕方が無い。
 まずやってきたA社。「一番乗りですか!」と勇んでやってくるも、どうしてもそのカラコンが気になる。見積もり額は他のどこよりも安かった。
 続いてB社。新人研修の子と2人組で現れる。営業トークはさほど上手くないし、見積もりも高い。でも、どうしてもこの仕事を取りたい!という勢いに満ち満ちている。
 最後はC社。もう営業トークがすごい。前の仕事で僕の会社にも来た事があるそうで、そういう事から写真のことなど、細かくフォロー。「カメラは勿論大切に運びます」などのフォロ−も忘れない。
 で、結局選んだのは……何とB社!勿論、見積もりは当初より大幅に下げてもらって交渉成立。いかにも頼り無さげな営業ぶりが、逆に「可哀想」な感じもし、ここを推した。C社の営業はまさか自分の営業が敗れるとは思わなかったらしく「ええ?駄目ですか??」とショックを受けていた。まぁ彼の営業力からすると他で十分とれているはずだ。
 それにしても2日ほどほとんど寝ていないので、引っ越し業者の相手をするか寝るか、の一日。夜は1人でバワリーでチキンライス食べました。バワリーに集う人々は相変わらず面白そうな人ばっかでした。
20.Jun. Mon 【きちんと別れること】
 夜中の3時まで編集して、その後何だかんだでホテルに戻ったのは午前5時。でも今日は6時出発なのでそのままシャワーだけ浴びて出発。再びお仕事を色々やって午後をむかえる。こうして仕事をしていると、いつもと変わらない生活。でも、5年と9ヶ月続けてきたこの作業も今日で最後になる。まだまだ実感がわかない、というのが正直なところだけど、とにかくここで仕事上は一区切りだ。
 新幹線で泥のように眠り、東京へ戻る。「これからは大阪に『戻る』ようになるんだなぁ」と思うと感慨深い。今日は同じチームでやってきた人達が開いてくれた送別会があった。自分がそんな場の主役になるなんて考えられなかったのに、花束もって1人で立って、ある日突然そういうシチュエーションになっている、そんな感じ。
 一人一人に「言葉」をもらう。本当にありがたい言葉が続く。実に沢山の人と出会い、仕事をしてきたんだなぁということを実感し、その人達と別れることを痛感する。
 「出会いの数だけ 別れは増える それでも 希望に 胸はふるえる」という歌があるけど、きっとそんな感じ。気心の知れた仲間と別れて、新しい場所で一からのチャレンジ。みんなのいない場所で、僕はどこまでやれるかな。
 照れくさくて言えないことも多いけど、一人一人とちゃんと「お別れ」をしていきたいと思う。
 「引き返しちゃいけないよね すすもう 君のいない 日常へ」 きっとそんな感じ。
19.Jun. Sun 【尼崎再び】
 来週から否が応でも来ることになる(…というか住む)関西に普通に出張。今日から運転が再開されたJR福知山線の周辺を色々と訪ね歩く。あの頃は列車が線路上に多数残り、電柱は折れ、交通が制限されていた現場はほぼ復旧し、日常的な生活が戻りつつ会った。
 長い直線を通り、あの時と同じルートを列車が走る。R-300と言われる急なカーブを車体を大きく傾けながら曲がり、マンションの横をすり抜けて行く。その斜めっぷりはちょっと驚くような傾き方だけど、55日前まではそんな場所で猛スピードの運転が行なわれていたのだ。
 55日間も列車運行が止まってしまうという前代未聞の事態は、何とか解消された。沿線に人が戻り、街には活気が戻りつつある。しかし、だからと言ってこれで「解決」な訳ではない。ある遺族にお会いし、お話を伺った。現在の暮らしぶり、運行再開について、JR西日本について…。
 気丈にふるまい、活動する彼女を見ていると、思わずつい最近娘を亡くされた遺族である、ということを忘れてしまいそうになる。しかし、彼女はやはり、どうしようもない苦しみの中にいるのだ。
 机の上の向かい合わせのパソコン。たった56日前まで、娘はモニターの向こう側にいた。ごく当たり前のように、笑顔があった。今も、パソコン作業に疲れた時、無意識に顔を上げて首を伸ばしてモニターの向こうの笑顔を探してしまうことがあると言う。それがつらいと。
 107人が死亡し、現在入院中の人も多い。列車が復旧し、街が元通りになっても、決して元には戻れない人々が沢山いるのだ。
18.Jun. Sat 【写真展打ち合わせ】
 都内の某大学にて写真展の打ち合わせ。実はこのHPの写真をきっかけにして「写真展」の企画が進行中なのである。当初は文化祭によくある感じの写真サークルの展示みたいなものをイメージしていたのだが、とんでもなかった。展示場候補の部屋は、300人収容、24m×11mという巨大な空間。これまでやったどこよりも広い。昨年行なわれた展示の写真も見せてもらったが、かなり大規模だった。(昨年はアフガニスタン写真で有名な写真家さんの展示)
 この大学では、外務省、文部科学省のプログラムの一環としてカブール大学とも提携しており、他の大学とも連携してアフガニスタンの女性、子供への様々な支援、研究を行なっている。そういった機関に認めて頂き、こうした写真展を開けるのは光栄の至り。
 これから引っ越し、転勤、新しい仕事と、次々と大変なコトが待っている中、こういった大きな展示を行なうことはかなりのチャレンジだとは思う。しかしこれをきちんとクリアし、写真家としての実績を積んでいきたいと思う。今日の打ち合わせで求められていること、必要なこと、欠けていることは大体わかった。ギリギリになって慌てることのないよう、忙しい中でも準備をすすめようと思う。
17.Jun. Fri 【プチフリマなど】
 ネパールで買い込んだ毛糸の帽子やら手袋やら、もう使わないGAPのナップザックやら色々を会社に持って行ってプチフリマ。捨てるよりはいいだろうと思ってもっていったものが、意外と色んな人にもらって頂けてラッキー。まぁ、中には半ば強引に押し付けたものもあったけど。
 家にあるデッカイもので当面使わないもののいくつかは里子に出すことにした。その第一弾としてスゴイと言われるギターをミュージシャンの友人に託す。うちでゴロゴロしているよりは、ライブでガンガン音をたててもらってくれた方がギター君も喜ぶだろう。
 職場では、一足早く職場を去る人達の記念写真なんかを撮りつつ、今の所はまだ「送る側」にいる不思議な感じ。けれども新しい職場からの事務的な連絡などあっていよいよ自分の番が近づきつつある。夜10時くらいから、職場の人の送別会。何だかんだと帰宅して、今、もう午前4時!明日は午前中から動かなくてはならないんだけどねぇ。
 (片付け、1つも進展せず…)
16.Jun. Thu 【300冊→11000円】
 どっから手をつけていいのかわからないのだが、とにかく我が家には本が多い。僕が一軒家でもかまえていれば、資料室でも作って蔵書印を押して管理したいところなのだが、とにかく再来週にはここを引き払って大阪に移らなくてはいけないのでこの本を半分くらいにしなくてはいけないな、と思っている。
 本棚というのは「生き物」だと思う。その時代,時代の空気を吸って、自分が求めた「知」や「感性」が蓄積されている。だから時には、こうして大規模な新陳代謝を行なうことも重要なことだと思うのだ。「もう読むことないだろうな…」というような本を中心に、かなり厳しく査定して家中の紙袋に入れてブックオフに持って行く。雑誌を中心に120冊ほどで6000円くらい。「Relax」とか「SWITCH」とか「Studio Voice」とか、この5、6年分ほとんどあったのだけれど、めぼしいもの10冊くらいづつ残してサヨウナラ。
 今日は2回も売りに行ったんだけど、2回目に行った時は200冊ほどで5000円ちょっと。このとき、さっき売った雑誌がすでに「250円」とかの値段が付いて売っていた。あぁ、ヤフオクする余裕があれば倍以上の値がついたのになー…と思う。それにしても、300冊売ったくらいじゃ全然片付かないなぁ…。
15.Jun. Wed【写真家稼業】
 朝から写真集のラフをプリンターで印刷。雨の中、飯田橋までデザイナーの鈴木一誌さんを訪ねる。鈴木さんはアラーキーをはじめ、数々の写真家、作家の本をデザインするプロ中のプロである。こちらは写真家の瀬戸正人さんと編集者の神林豊さん。神林さんの作ってくれたラフをもとに色々と打ち合わせ。
 紙のこととか印刷のこととか、僕は全くもってチンプンカンプンで、大人の会議に連れて来られた小学生みたいにボーッと聞くよりほかない。結局、僕が色々ある「宿題」をさっさとやらないと話はすすまないので、それを頑張らなくてはいけない、というコトでしかないのだ。
 そういえば、こないだ発見した昔のSTUDIO VOICEで神林さんが森山大道さんと対談していた。(神林さんは森山さんの『新宿』の編集であり、その出版社の社長でもある)その内容がこれまた難しい。芸術論的な話の展開にはただただ舌を巻くばかりでありました。
 引っ越しの準備をさっさと終えて、写真集をとにかくクリアしなくてはいけない。(もう1年も言ってることだけど)
14.Jun. Tue 【部屋探し@大阪】
 それでも日曜→月曜にかけては完徹をして、しかも徹夜明けにヒルズ行ったり駒沢のバワリーに行ったりして中々寝なかったにも拘らず、今日は朝から大阪へ。さすがにしんどいので、自腹でグリーン車を選択。爆睡しているとアッと言う間に昼下がりの大阪に着いた。
 ネットで目星を付けていた不動産屋に直行し、物件の相談。この会社に関しては事前にかなりリサーチしていたので、向こうが持っている物件に関しては1冊のファイルを作って行く位の意気込みだったのだけれど、店自体はあまり大したことがなくてちょっとガッカリ。接客は頑張っているんだけど、こっちがフォローしたくなるような場面も多い。
 しかし、今日中に決めようと思っているので5件ほどバーーっと見て回る。今回は、今までと違って「都心」に住もうと思っているので、値段の割に部屋は狭い。まぁ、一人暮らしで57平米とかに住んでいる現在が広すぎるのかもしれないけれども。
 新しく住むことになりそうな街をゆっくり見て回るでもなく、ある程度の目星を付けてそのまま帰京。最近、あまりに腰が痛いので鍼を打ってもらう…が、効かず。あっ大阪の鍼師さんも探さないとなー。
某日.Jun. 【青天の霹靂】
 最近、会社に行くのが早い。まぁ一般の人に較べるとかなり遅いんだけど、とにかく10時には会社で仕事をしている、という感じ。この日もそんな感じで仕事をしていたんだけど、今日は「運命の日」だったのだ。
 昼前に呼び出され、会議室で告げられたのは「今月末から大阪へ異動」ということだった。
 仕事の内容は、僕が希望している将来像に合致するものであったので、それはある程度の覚悟していたことだし、いつかは大阪に行かなくてはならない、と思っていた6年間ではあった。とにかく、自分にとってプラスになるはずなので、前向きにとらえよう、と思う。
 その後、いつものような仕事に戻ったのだけれど、永遠に続くかのように思えたこうした仕事がもうすぐ終わってしまうのがわかると、どこか不思議な感覚だった。6年も同じ場所で仕事をしていると、自分がその場にいないことが想像できないし、それが心配でもある。でもまだ「異動」のことは言えないので、将来的なことなども交えて打ち合わせなどしたりする。
 何か実感がわかないなぁ…と思っていると会社から「転勤が決まった方へ」とのメール。部屋探しなどの段取りが説明されていた。これからの2週間でこんだけのコトをこなさなくてはいけないのか?という感じ。どーしよー。
8.Jun. Wed 【W杯出場とのこと】
 前の日記から一週間もあいてしまった。その間、ずっとミンダナオのページを作っていたんだけど、普通の日記はあんまりあけたらいかんね。今日は朝から仕事。相変わらず若貴問題が白熱化している。90年代初めから常に貴花田、貴ノ花、貴乃花ファンだった僕としてはただただ唖然とするばかりの展開。どうでもいいから、築き上げて来たものを汚すのはもうやめにしてくれ!とファンとしては言いたい。
 仕事終わりに渋谷に行くと、何やら青い集団が雄叫びをあげていた。そういえばバンコクで北朝鮮との無観客試合が行なわれ、日本は2-0で勝利していたのだった。この人達はどっかのパブリックビューイングかなにかで観ていたのだろう。こういった光景は2002年のワールドカップのときにも見られた。あれ以来、こうした行為は定着しているらしい。「お疲れさーん」とか言いながら見知らぬ同志が肩を組み、「ニッポン、ニッポン!」と歌い踊る。
 3年前に見たときもそのニワカナショナリズム的なものに鳥肌が立ったものだが、今回は更にも増して鳥肌モノ。嬉しいのはわかるけどさぁ…。(僕も3月にはわざわざイランまで観に行ったのだけれども。)
 その後、とあるカフェでパソコンのバッテリーが尽きるまでミンダナオのページ作り。ようやく終わってホッとする。
2.Jun. Thu 【二子山親方告別式】
 昨日、フィリピンから帰って来てすぐ、二子山親方告別式のお話があって、今日は朝から青山葬祭場に向かう。ミンダナオ島で知った親方の死。何とか告別式には間にあってよかった。報道では兄弟2人の対立が問題になっており、実際に若貴兄弟の仲が修復出来ない程に悪化しているのは2人のコメントから、何より態度から明らかだった。
 15年も前から花田家を追い続けている僕としては非常に悲しいことだと思う。何より、花田勝ファミリーと花田光司ファミリーが対立して従兄弟達まで対立しちゃうとしたら、それは可哀想だな、と父親によく似た7人の子供たちを見て思った。杞憂だといいのだけれど。
 戦後の相撲の歴史は花田家なくしては語れない。若乃花がいてこそ栃若の隆盛があり、貴ノ花がいてこそ大鵬→北の海→千代の富士の時代がつながったし、そして若貴兄弟がいてこそ平成の隆盛があった。昭和20年代末から連綿と続くその歴史の中の、極めて重要な局面を実際に見られたことを光栄に思う。
 今後、2人の仲が良くなることはないと思う。花田家は終わった、とか言う人もいるが、それでも僕は、目の前に並んだ65代、66代横綱の今後の人生をこれからも追い続けるだろう。
1.Jun. Wed 【東京へ】
 マニラから飛び立てば、およそ4時間ちょっとかけてアッと言う間に東京に着く。ダバオから東京まで、1日で着いてしまったことになる。南方の僻地、ミンダナオは、もはやその程度の遠さでしかない。しかしわずか60数年前、多くの兵達は1ヶ月もかけてこの島へ船で向かい、そして帰ることもできなかった。結局、山川中尉も中内一等兵も、この距離を、再び戻ることはできなかったのだ。

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