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26.Nov . Thu 【モスクワへ】
 「こも樽、こも樽…」と、僕は成田空港でこも樽を探していた。今回のロシア行きは、普通あんまり旅行者が行かない所を訪れるので、役所の人にちょっと袖の下…じゃないけど、お土産を持って行くのだ。で、持って行くなら日本らしい「こも樽」がいいという父のアドバイスに従って免税店に行くと、確かにそれはあった。
 しかし…「…でかい!」。今回はちゃんとしたビデオを持って来ているということから荷物はできるだけ減らしたい!結局、トックリとオチョコ付きの焼酎にした。酒の事は全くわからないけど、ウォッカ飲むくらいだから、焼酎も飲むであろう。

 そして、午後1時すぎの便でモスクワへ。飛行時間は10時間。隣の席も空いていたので、悠々自適。沢木耕太郎の『壇』を一気読み。今までは旅先で本を読んだり音楽を聴くということが出来ない人だったんだけど、最近、「旅先読書」に目覚めつつある。あと何冊か持ってくればよかった…と後悔しているうちに飛行機はあっさりとモスクワへ到着した…。
 →続きは、『旅行記』に書きます!(鋭意制作中)

25.Nov . Wed 【ロシアへ向けて】
 実は、今日から遅い夏休みを取らせてもらうことになっていて、明日からはロシア南部へと向かうことになっている。昨日は京都から帰って来たのが遅かったので旅支度を出来ずに寝てしまったので、朝から準備。今回はカメラ3台、(1台は予備)と大型ビデオカメラを1台持って行くので荷物がかなり多い。
 で、午後になってようやく東京に移動。出発前にやらなくてはいけない仕事が結構あって、ドタバタに。本当、あっちへこっちへと走り回る事となってしまった。

 焦っていたのは、早くしないと「ビックカメラが閉まってしまう!」という理由で、ロシアで使うフィルムを買いに有楽町へと急ぐ。最近はずっとKodakのPortraを使用してまして、ASA400を中心に160も少々。淡い色合いのNCが基本だけど、今回は発色の強いVCも使ってみることにする。…って、何のこっちゃという話でしょうが、この選択が今回の旅の全てを決めることになるのです!

 全然関係ないけど、『僕らの音楽』がDefTech×SMAPだった。Defの地元を歩くということで、木村拓哉とDefTechが戸越銀座商店街を歩くというもの凄い画になっていた。池上のトーヨーボールの前なんかも通っていて、自分の地元との近さに驚く。

24.Nov . Thu 【京都!】
 今日は京都で仕事。地下鉄の階段を昇って外に出ると、広い通りにキリッと引き締まった空気が気持ちいい。あちこちにある瓦屋根を、朝の斜光がうすオレンジに染める姿が綺麗。
 まぁ、決してウキウキするような仕事ではなかったのですが、それでも紅葉やら夕焼けやらを見ながらを横目に見ながらの一日であった。最近、何となく「京都に行きたいなぁ」と、京都欲がたまっていたので良い機会でした。でも、修学旅行で行ったようなお寺に行ってみたいなぁ、撮ってみたいなぁ、とも思います。
22.Nov . Tue 【長く使うのです】
 このホームページをはじめ、パソコンの作業のほとんどはマックのパワーブック12inchで行なっているのですが、うちにはもう一つ、G4Cubeというデスクトップもあります。スキャニング用とかiTunesでのコンポ替わりなどの用途で大阪まで持って来たんだけど、もう5年前のパソコンで、最近、キーーーーンという高周波のノイズが気になって使い物にならなくなっていた。
 掃除とかしていると、こういう事まで気になるもので、気がつくとパソコンひっくり返してアチコチいじってたりする。こういう時に頼りになるのがmixiで、早速G4Cubeのコミュニティに入ってみる。すると、HDが古くなっている事が原因で、これを交換すれば直るということがあっという間に判明。
 更に、必要なのは3.5インチのパラレルATAのHDだということ、値段は1万円くらいだという事など続々とわかってありがたい。しかし、当分、探しには行けそうにないなー。でも、Cubeは格好いいので、まだまだ使い続けたいと思います。(iMacG5やMac-miniにもかなり惹かれるけどね)
21.Nov . Mon 【色々とメンテ】
 その後、土日の仕事を経て、月曜日は久々にお休みとなりました。手帳の予定としては「東京」となっていて、2週間後に迫った個展のことやら何やらをやろうと思っていたのだけれど、あまりにも体がしんどいし、どうせ週末にも行くので、今日は大阪にとどまることに。

 で、最近近所にできて、ちょいと気になっていたマッサージ屋さんに行ってみる。鍼灸マッサージなんだけど、かなりオシャレな造りになっていて、広い個室に大きなベッド。時間制とかじゃなくて、診療しながら何をどの位やっていくのかを決めて行く、という方針。先生も丁寧だし、予約制で待たなくてもいいしで、これは収穫だった。
 ちなみに後日、丁寧なカルテが送られてきて、今後の治療方針などが書かれておりました。

 あと、パソコンの動作が遅くなっていたので、「idefrag」なるソフトを買ってデフラグ作業。結果は…あんまり変わらないような気がする…。他にも、大阪の部屋を借りて丸4ヶ月で初めて掃除機をかけ、若干の模様替えなどを行なって一日を過ごす。「24」も最後まで見たし。

18.Nov . Fri 【一段落】
 朝から昨日の原稿チェックの続き。とりあえず仕上げてファックスを送って、それから仕事の編集の続き。今回、写真集の最終仕上げが同じタイミングになってしまったので大変。
 一連のパキスタン関連の放送はとりあえず、今日で終了。でもこれからも被災地での困難な状況はずっとずっと続くだろう。取材に協力してくれた被災者達への感謝とともに、この被害を忘れずにしていきたいと思う。できることを、自分ができることを、これからも続けて行こう。
17.Nov . Thu 【色々と仕上げ】
 14日から3日間編集室にこもって編集作業。今日、ようやく終了して放送した。部署が変わって初めての海外企画物であったが、やはりトーンの違いというのは否めず、色々と反省点もあるけど、伝えるべきことは伝わったのではないか、と思ってます。それでも明日も放送があるので、続きの編集なども引き続き行なう。
 1時過ぎに帰宅。そのまま書類抱えて近所のカフェへ。遂に写真集の最終入稿を明日に控え、現在の原稿をチェックするのだ。直接の打ち合わせが限られ、メールでちょこちょこ送っていた原稿が、なかなか思い通りに並んでいなかったり、スペルが違ったりしているので、これを直さなくてはならないのだ。
 それにしても結構な分量があり、オムライスを食べながらコックリコックリと寝そうになったりする。何か、試験前の学生のようになりつつ、丹念に単語をチェック。結構沢山見つかった。結局、3時すぎに眠さに耐えられなくなり、寝る。続きは明日の朝ってことで…。
13.Nov . Sun 【神戸へ】
 今日も朝から東京で仕事。3日間も続けて行くと、前の職場にも完全に違和感なく溶け込んでしまう。普通に電話取ったりして。…しかしまぁ、今日は関西に行かなくてはいけないので、翻訳をなんとか終わらせて、新幹線に飛び乗る。(エクスプレス予約会員になったから、新幹線マイレージみたいなのも付くらしい)

 で、夜の神戸は三宮へ。これまた全然別の取材。取材の準備中、駅前でやっていたストリートミュージシャン達の演奏をずっと見ていて面白かった。女の子ボーカルのバンドやらギターポップな人達やらラッパーやら、様々な分野のバンドが次から次へ歌い出す。多ジャンル混在の中でも、とにかく順番でやるルールみたいなのがあるらしく、見ていて飽きない。

 そしてようやく、10日ぶりの大阪の部屋に辿り着いたのでありました。明日からも大変そうだなぁ…。
12.Nov . Sat 【東京で】
 で、今日は東京にて昨日の続き。東京は空が高く、青い空が綺麗だった。10時に始めて夜の9時までという、幾分緩やかなペースでやる。ウルドゥーの翻訳してくれている人には、アフガニスタン出身の人もいて、ついつい雑談に華が咲いてしまう。イラン、イラク、アフガニスタンと米国の話など、かなり面白かった。この繋がりは、今後も生きて来そうな感じ。
 夜、久しぶりにJJのあんこさん宅へお邪魔する。結局、前と同じようなペースで会っているような気がするな。今日も帰宅は蒲田経由。最近、週刊誌を読めていなかったんだけど、こういう時、家が漫画喫茶やってると助かるな。
11.Nov . Fri 【帰国】
 10日は色々整理などして、疲れた体を引きずって空港へ。電光掲示板に便名が無くても突撃すればチェックインしてくれる不思議な空港。待合室で待っていると、おじさんが「チャイはいらんかね」と持って来てくれるもの結構良い。…が、平気で3時間とか遅れるのはやめて欲しい!以前、この待合室で延々待った挙げ句、フライトがキャンセルになって、イスラマの街にほっぽり出されたことを思い出す。幸い今回は3時間後に乗れたのでまぁ、良しとしましょう。

 帰りは疲れていたこともあり、機内食もほとんど食べられず、いつの間にか中継地の北京に着いていた。午後の北京の様子を窓から見ながらまた眠りに落ち、夕方の成田に辿り着いた。

 空港での諸々の雑務を行ない、僕はそのままバスで都内某所へ。取材したものの翻訳作業にそのまま入る。つい3日前にパキスタンの山奥にいたのに、銀座や丸の内にいるのは不思議な感じ。結局夜中12時過ぎまで作業をして、本日の任務完了。長い一日だったなー。

 でも家の鍵を持っていなかったりして、何だかんだで蒲田経由で帰宅したのが2時過ぎで寝たのが4時すぎ…。

09.Nov . Wed 【病院】
 当初は、ロビーにまで子供達のベッドがあふれ、手足を失った子供達が並んでいたというイスラマバードの病院は、落ち着きを取り戻したかのように見える。広い庭には秋空が晴れ渡っていて、のどかな昼下がり、といった雰囲気。しかし今日も、被災地から転院してきた子供がいる。

 1人はバーグという街からやってきた少年。左足の全てと右足の太ももが石膏で固められていた。1ヶ月もたって、ようやく大病院に辿り着いた彼は、まともな医療を受けられたのだろうか?頭のあちこちには縫った跡があり、特に後頭部はほとんどがギザギザに縫われていた。
 お父さんに抱っこされながら、泣きながら病院に入って行った男の子は、両手を石膏で固められていた。栄養がいっていないのだろうか、手だけがガリガリに痩せていた。

 被災地では、この地震で、多くの病院が崩壊した。村や街の中心の病院が崩壊し、医師達の家族や、医師自身も被災し、病院機能がマヒに陥った。そんな状況では、普段なら救えたはずの命も次々に失われて行ったという。そして今、別の街からやってきたお医者さんが崩壊した病院の一室で診療を続ける。不衛生な状況の中で、風邪みたいな単純な病気が子供の命を奪いつつある。間近に迫った冬、更なる「死の波」の到来が怖れられている…。
08.Nov . Tue 【1ヶ月】
 そして、あの地震から1ヶ月。今日も遠くの被災地まで行って来た。谷の中にある街は、まるで15世紀にタイムスリップしたかのような世界。長い髭をたくわえた男達がテントを運ぶ。

 この周辺の山々にはパキスタンの法律も及ばず、軍人の権限も及ばず、人々は古い慣習の中で生きている。ある人がテントを手にすると、別の人がその人を撃ち殺してテントを奪う。そしてさらに別の人がその人を撃ち殺してテントを奪う…そんなところだという。人権意識は極めて低く(もしくは無く)、特に女性は、アフガニスタンのようにブルカをまとっている人もいた。女性にカメラを向けたりしたら、周りの男から撃たれるかもしれない、と言われながらの仕事である。

 決して余所者を寄せ付けなかったこの地方だが、地震の影響でヘリコプターで物資が運ばれるようになり、「外国人」というものが入ってくるようになった。まだまだ抵抗も強いだろうが、とにかく秩序という概念のないこの地域も、変わらざるを得ない状況になってきている。
 1ヶ月前の地震は様々なレベルで、この国の形を変えようとしている。
07.Nov . Mon 【学校】
 想像もつかない悲劇がいたるところで剥き出しになっているのが、今のパキスタンだ。崩れ落ちた石造りの商店跡が並ぶ坂道を登り切ったところに、学校だった建物がある。その時、教室では授業が行なわれていた。学校には720人の女子生徒が一日を始めようとしていた。

 その瞬間、幸運だったわずかな子供だけが生き残り、多くの子供達が、石造りの建物の下敷きになった。屋根だった部分に穴が空けられ、遺体の一部は外に出されたが、現在も瓦礫はそのままで、中には無数の子供達が、そのまま取り残されている。
 かろうじて形を残した教室の前には生徒達の使っていたノートや教科書やカバンや靴が散乱している。教室内の英語の張り紙、時間割、標語、優秀生徒を讃えるボード。
 瓦礫の中から救い出された少女がいた。80人のクラスメイトがいて、助かったのは彼女と一緒に逃げた10人ほどだったと言う。「神様助けて」とお祈りしたことしか覚えていないという彼女。暗闇の中から救い出されたのは4時間後だった。

 そんな悲劇が、至る所で剥き出しになっている、のだ。
06.Nov . Sun 【街】
 早朝にイスラマバードを出ると、3時間も走れば今回の大きな被災地であるムザファラバードに着く。街に近づくにつれてテントが多くなり、屋根に押しつぶされた家並みが見えてくる。大勢の人が、この街で死んだ。瓦礫を撤去する機械も無ければ人員もお金も無い中で、今も、このコンクリートの下で、多くの死体がそのままにされているのだ。この国の今の国力では、もうどうしようもないのだ。
 街角で、テントの横で佇んでいる人達。ちょっと話を聞けば、母を亡くした、子供を亡くした、結婚したばかりの妻を亡くした…と、悲しい話が続々と出てくる。街全体に、「死」があふれている。それでも、発生当初よりは随分とましになったのだとは言うが…。

 ヘリコプターで上空から被災地を見てみると、山岳地帯に、何故か屋根だけがポツリポツリと佇む姿が見える。まるで、建設中の新築現場を思わせる風景だ。山に張り付くようにあったであろう、村。それが、屋根ばかりを点々と残して辺りに人影は全く見えない。村や集落が完全に崩壊してしまったところも多いという。

 家を失った人のためのテント村。配給された服は地面にぶちまけられ、人々はそれを拾い集めていた。しかし提供された服の中には必要のない「夏物」も多く、その多くが路上に放置されたままになったり大胆に捨てられている現状もまた、ある。「いらないにしても、夏まで取っておくとか、雑巾にするなりしてもらえばいいのに…」とも思うが、捨ててしまうものらしい。これはとっても不思議だ。

05.Nov . Sat 【CAMP】
 イスラマバードの一角に、巨大なテント村ができている。カシミールや北西辺境州の被災地で家をなくし、家族を失った人達の中で、幸運にもここまで辿り着いた人達が大勢(5000人以上)暮らしている。着の身着のままというか、本当に「命」だけを抱えて、他は何もない、という状態の人達ばかり。歩くことのできない人、足から直接金具が飛び出たまま、病院を追い出されて来た人などが、幼い子供を沢山抱えて、薄手のテントの中で暮らしているのだ。

 ここに集まっているテントは国連機関やイスラム団体のNGO、イスラム教の国などによって建てられている。集まってくる物資もパキスタン国民のボランティアなんだそうだ。状況は悲惨を極め、聞く人聞く人が、父や母や子供や…と、大切な人達をあの10月8日に亡くしている。両親も兄弟も亡くした、という子供は心を病んだのか、喋り方もおかしくなっていた。

 そんな状態でも人々は、平和な時にそうだったように、カメラの前に集まり、真剣な話の後には笑顔を見せてくれる。さっきまでレントゲン片手に「病院を追い出された」と嘆いていた人ですら、笑顔を見せるのだ。この強さは一体何なんだろう。ある人は言った。「神様のなさった事だから」。大切な人が一瞬にして奪われ、家も村も無くした人達を目の前にして、ただその言葉に耳を傾けるしかなかった。
 ところで、キャンプにはパキスタンテレビの取材で、現地で有名な俳優、女優、キャスターが「慰問」に訪れていた。現地は今、イードと言う、ラマダン(断食月)明けのお祭りだから、そこで有名人が慰めてあげよう、という企画らしい。サングラス姿の把流スター(?)が、サンタクロースよろしく、綺麗に包装された大きな箱を子供にプレゼントし、人々に服やお菓子をまく、といった光景が繰り広げられていた。
 夜、テレビを見ると早速「セレブ達のキャンプ慰問」みたいな番組になっていて、サングラス姿の場違いな人達が子供たちにオモチャを与え、キスをし、先の見えない未来を抱えた人達を励ましている。

 日本ではお目にかかれない、ものすごく一方的でものすごく宣伝くさい「援助」。サングラスを決して外さない彼らに違和感を覚えつつ、でも、日本でも石原軍団が炊き出しをやって喜ばれているしなぁ…、とも思う。幸運だったごく一部の子供達は、それで幸せな訳だし…ねぇ。
04.Nov . Fri 【イスラマバード到着】
 今日のフライト予定時間を見ると、何と11時間30分!ほぼ半日じゃないっすか?…ということで、飛行機で寝るために、昨日は頑張って徹夜で過ごした。朝6時すぎに会社へ行き、そこから伊丹経由で成田へ。

 成田の待合室には、何故かお互いの手をキツく結び合った2人組が。「???」と思っていると、同じような姿の人達が何人もやってきた。入国管理官みたいな人達に連れられて。恐らくは、あれが強制送還というものであろう。今回、飛行機の座席を獲るのには苦労したのだけど、きっとああいう人達が沢山予約を入れていたせいだ、と思う。
 午後、成田を飛び立つと同時に再び頭をスイッチオフ!飛行機は人間の眠気をエネルギーにして飛んでいるのではないか、と思わせるような寝っぷりで北京へ到着。ここで給油をし、北京からのお客を乗せるのだ。

 ドカドカドカっとオバちゃんが入って来て、いきなり機内に掃除機をかけ始める。狭くて汚い機内に掃除機の粉塵がまき散らされ、どう考えても清潔度を落としているとしか思えない。機内食を入れ替えに来た青年が、置き去られていた「週刊大衆」に夢中になっていたのもまた、微笑ましい光景。

 何だかんだで結局あまり眠れず、夜10時すぎにイスラマバードに到着。そのままホテルへ入って打ち合わせ。結構いいホテルにもかかわらず、ウェイターの対応があまりにも遅いのが気になる。
 実は、イスラマバードでウェイターやコックをやっている人達は今回の被災地域出身の人が多いのだそうだ。だから、オーダーをしてその後全くそれが来ないのは、大勢の働き手を地震で失った、その二次災害のようなもの…らしい。日本にいたら、まず知る事のできない影響だ。(もっとも、大概のんびりしているお国柄ではあるが)

03.Nov . Thu 【あの画面の向こう側へ】
 さて、今日は朝から荷作り。明日から、いよいよあの画面の向こう側、パキスタンに取材に出かけるのだ。昨日、発表されたところによると、現在のパキスタン側の死者は7万3千人。そして同じだけの負傷者がいるという。更に、間近に迫った冬の中、多くの人々が更なる「死」の危険にさらされている。しかし、日本の新聞を見ても、それは文字だけのほんの小さな記事でしかない。テレビも同じようなもの。だから敢えて、このタイミングで「パキスタン大地震後の現状」を見て、そして伝えたいと思うのだ。非常に短い期間の取材だけど、その中で精一杯のものを見て来たいと思っている。
 現場は普段なら「危険」とされるカシミール。ただでさえ人々が混乱する中、今はラマダン(断食月)明けの特殊な時期。最近、数々の人から「無理するなよ」「生きて帰ってくることが何よりも大事だぞ」と、声をかけられる。そのたびに、まるで出征兵士だな…と思う。現地から書かれているブログとか読むと、そんな大袈裟なことではないと思うんだけど…まぁ、ありがたくお言葉を頂く。
 パキスタンに行くのは3回目だけど、仕事で行くのは初めて。1人で行くのとは全く違うとは思う。とにかく慎重に、そしてやはり、良い取材をしてきたいと思う。
02.Nov . Wed 【体力作り
 仕事を終えてあわてて帰宅。夜、トータルワークアウト。よく考えたら、ベンチプレスの重さがこの1年、まるで進化していない。うーん、生活が落ち着いたら気合い入れてやりたいんだけど、当分、落ち着きそうもないな…。無駄な抵抗と思いつつササミスープを作ったりして過ごしている。ササミとアルファルファのスープは簡単に出来る割にはかなり美味しいことが判明した。

 最近、時間があると川内倫子さんのweb日記ばかり読んでいる。彼女の作品は以前から大好きだし、写真集も全部持ってる。今回、日記を読んで気付いたこと、それはついこないだまで、すごい「ご近所さん」だったってコト!携帯で撮ってる写真の端々や、駅や街の描写などからそれを知ってビックリ!
 色々と悩んだりしながら写真に取り組んでいる日々が、同い年の僕にとってすごく興味深い。忙しさや体調、気分と仕事の関係とか。白鳥の足元を見せてもらったような感じだ。
01.Nov . Tue 【今日から11月】
 今日から11月。去年の日記を見ると、新札が出た!とか書いてある。もはや何の違和感もなくなり、夏目漱石の千円札は、忘却の彼方。こうして世の中は少しずつ、形を変えているんだなぁ…と思う。

 日記を改めて見ても、10月は「何とか乗り切った」という1ヶ月だった。そして11月も、同じ位に「大変」そうな予感がビシビシしてきた。さっき電車の中で手帳を見ながら溜め息が「ふー」と出た。どれもこれも自分が「やりたい!」と思った事だし、言い出したことだからいいんだけど。

 ユニクロへ行った。週末からちょっと寒いところへ取材に行くので、その準備をしなくてはならないのだ。来週の今頃は、とても寒いところでツライ取材をしていることでしょう…。まぁ、個人的にはシベリアでマイナス30度というのを体験しているので、寒さ対策には自信はあるんだけどね。
 今、どんなウィルスが来ても風邪ひく訳にはいかない。とにかく、12月の半ばまでは突っ走るしかない!!のだ。

                     ↓これがシベリアのマイナス30度

31.Oct . Mon 【神戸にいた】
 今日は、朝から神戸で仕事だった。まー仕事のシフトの都合でそうなった訳ですが、普段と違う職場で仕事をするというのは、気分転換にもなっていい感じ。出勤時間は3倍くらいかかって大変だけど、通勤ラッシュと逆方向なので楽チンでもある。
 神戸の中華街も間近なところなのだが、お昼ご飯のオススメは蕎麦屋さんだった。観光客も多くて待たされることもあって、中華街には殆ど行かないらしい。僕は、神戸で仕事があったら、わざわざ寄る位だったので、ちょっと意外。連れて行ってもらった蕎麦屋さんは、何故が玉子焼きが名物で、皆、玉子焼きとご飯とザル蕎麦とかを頼んでいる。ご飯と蕎麦を一緒に頼むの?とビックリ。(これは、関西の文化という訳でもなく、この店の文化らしい)

 神戸は、海と山が隣接した街。夕方は山の方から夕日を見ながらの仕事であった。ま、決して平和な仕事場では無いんだけど。大阪に帰った頃、瀬戸正人さんからの留守電に気付く、何と今、「神戸で仕事している」という。何という偶然!何と言うすれ違い!瀬戸さんに渡したいネガがあったんだけど、仕方ないのでコンビニから東京へ郵送。そんな感じで10月が終わった。この日記みてると、単に写真だけやってる人みたいだな…。