そんな訳で、東京行ったり上海行ったり、大忙しの5月でありました…。
来たときとはうってかわって軽ーくなった荷物で飛行機に乗り込み、新幹線に乗るくらいの時間で関西空港に到着。電車にのって、あっさりと大阪の家へ。明日からまた仕事だぁ…。
自分の作品を展示しているのに、入場券が必要とは如何なものか?まぁ、大人数での展示なのでパスが足りなかったということなんだけど、とりあえず使い古しの半券を折り曲げて、再入場を装って侵入成功! そこには、初めて見る、でっかく引き延ばされた自分の写真があった…。
石川直樹、石塚元太良、勝又邦彦、加藤友美子、川村麻純、友長勇介、頭山ゆう紀、菱田雄介、良知暁というメンバーは、それぞれ撮っているものもやっていることもバラバラだけど、それが一緒になって、かなり面白いラインナップだなぁ、と思う。キュレーションを主にやった川村さんが考えていたのは、(まずは)こういうことなんだ、と納得した。
しかしまぁ…、作品がそう簡単に売れるものでもなく、値段交渉にすら至ることもなく…。まぁ、仕方ないか。。。会場に来ていた友長さんや良知さんと話せたのは面白かった。「写真」について、深くきちんと語る機会って、あるようで無いので、脳の筋肉が刺激された感じ。
途中、一旦莫干山路に額を届けに行ったりしたけど、5時半のクローズまで店番などしていた。その後、どこへ行こうかなぁ…と考えたときに、まっさきに思いついたのが「租界」だった。中国にとってはイイ迷惑だったに違いないが、僕はこの「租界文化」というものにノスタルジックな魅力を感じる。 さだまさしの歌で、「フランス租界のオバサンのパンの香りが…」みたいなのがあって、(うろ覚えだけど)とにかく、そういう戦前の東洋と西洋が渾然一体となった雰囲気に憧れるのだ。
旧日本租界には、戦前のものと思しき石造りのアパート群が並ぶ。以前、旧満洲で見た「興亜式」と呼ばれる、中国と西洋の折衷された建物に似ている。低い天井の下の、昔サイズの窓からは、租界時代と同じように、今日も夕ご飯を用意する音が聞こえる。 どの国が支配しようが、どんな文化が持ち込まれようが、淡々を受け流して来たこの街からすれば、「租界」なんていう時代はほんの少しだったのかもしれない。それでも、この街で暮らし、生きた日本人たちがいたという不思議を、少しでも味わうことができてよかったと思う。
「写真を撮らせて」とお願いしたオジサンが、いきなり太極拳のポーズをとった。50mmのレンズでは、引ききれない!と、焦りながら頑張って撮影。僕のスーパー片言の中国語によると、彼の太極拳の師匠は新聞にも載ったし、日本にも行ったことがあるそうだ。…多分。
現代と過去が混在する街、上海にあってこの場所は完全に過去を生きていた。車と人とリアカーがごちゃ混ぜになった道。ちょっと入れば、薄暗い路地に干された洗濯物と、家々の漏れ灯り。地元の人が料理を「食べる」ためだけに集まる、本当の「大衆食堂」。三丁目の夕日のような、剥き出しの生活がそこにあった。
変わりゆく中国という国にあって、トップを走って「変化」を続ける上海。昭和30年代の東京のように、「古き良き」時代がどんどん遠ざかって行くのだろう。(オリンピックを控えた国ってどこもそうなるんだろうか?)そんな中で、古き良き上海の姿が垣間見えたような、そんな場所だった。
フィリピンの人とか、信じられないくらいデッカイ荷物を平気で運んでいるもんなぁ…と、自分を励ましつつ列に並ぶ。案の定、中国人と思われる人が、意味不明に大きな荷物をチェックインしていた。 で、遂に僕の番。さりげなくドスンとパネルをカウンターへ。割れ物ではない旨をサラリと伝え、さも当たり前のように振る舞う。すると、男性職員がやってきて、困った顔。 「ダメ?」と、思わずドキリとするが、どうやら、どこにシールを貼ろうか迷っているようで一安心。これで、パネルを上海まで運べることになって一安心。
飛行機は爆睡で、気付いたら上海に到着していた。噂には聞いていたけど、中国とは思えない程(失礼ですが)ものすごい近代的。電光掲示板とか、かなりオシャレな感じ。無事に届いていたパネルを転がして税関を通る。「税関でややこしいコト言われたら嫌だなぁ…」と思っていたんだけど、前にスゴイでかい荷物を持っている人がいたので、全くのノーマークで通過できた。
更に、5番のバスで上海駅まで行き、そこから歩いて20分ほどのギャラリーにガラガラガラ…とパネルを引いて行く。上海の人も、「何じゃこいつは」という目。何か、アートパフォーマンスをしているみたいになってきた…。
京都駅で2人と別れ、閉店間際の画材屋さんでマットを受け取り、着替えて出かけてトータルワークアウト…。忙しすぎるのもいかがなものか、と思う!
まず最初は恵比寿。シグマラボに注文しておいた六ツ切りを受け取る。続いては青山。ある出版社に預けていたプリントを一旦、回収。同時に、プレイスMで焼いてもらった写真が、バイク便で、その写真雑誌の編集部に届く。 そんな訳で、銀座方面にある編集部にお邪魔して、かき集めたばかりの写真を並べながら打ち合わせ。結局、写真を渡して向こうにまかせる事となった。
次は、池袋。今回の個展やグループ展用のアクリル装飾をして下さっている「カシマ」という会社に、挨拶に伺ったのだ。僕たちの写真仲間の中ではかなりの有名人である、Hさんと遂に対面を果たし、写真の話を色々と伺う。Hさんは、写真界に出て行こうとする若手のお父さん的存在。僕の写真を気に入って下さったようで、嬉しい限り。 さらに、つづいて新宿の世界堂へと向かい、上海のグループ展用の額を購入。マットを切っている時間的余裕もなく、結局額だけを買う。一気に荷物がかさばって重くなる。空を見上げると、新宿上空には飛行船が浮かんでいた。
そんな慌ただしい一日を過ごし、蒲田経由で、品川駅から新幹線に乗る。新大阪についたのが午前0時。さらに、会社に行って、翌日の仕事の準備やら何やら。あー忙し。
会社に泊まりこみの誕生日ですが、気の利くアルバイト君が小さなケーキを買って来てくれました。メールをくれた人、プレゼントをくれた人、みなさん、本当にありがとうございます!!
今、彼女の行為の意味がよーく分かる。特に大きな作品の場合、日本で額装して海外に運ぶとなると、大体、額の値段の倍くらいの輸送料がかかったり、内容を証明する書類を書いたりと、かなり厄介だ。とにかく、金がかかる。だから、作品だけ日本でプリントしておいて、現地で額装する。そして、売れたら額ごと現地で売ってしまえば、手ぶらで帰って来られるのだ。
せめて、もっと小さい作品にすればよかった…。今日、横幅1m30cmの我が作品が、上海に向けて旅立った。
あなたにとって「写真」とは? あなたにとって「撮影行為」とは?
答えはある。確実に自分の中にある。しかし、それをいかにわかりやすい形で言葉に置き換えるか?これがとても難しい。捻りだす、というよりも、削り出すような作業。その答えは… 6月に発売される、雑誌が出たら紹介します!!
目の前真っ白、耳は遠くなり、もう1mmも体動かせません!という感じになる。要は、酸欠で血が引いているのだ…。 それでもまぁ、体を動かすのは気持ちいい。トータルワークアウトの裏メニュー「K-1」を勧められ、まんざらでもない僕がいたりするのだ。。。
京都の連続公演の最後の最後に行って、今さら「全部見たいなー!」と思ってしまいました。何よりも、浅利慶太氏のコンセプトに強く共感を覚えます。 「私は、戦争に正しいものと、そうでないものがあると言いたいのでもない。いつも考えることは、たとえどんな崇高な目的があったにしても、戦争は民衆の、国民の凄まじい犠牲を伴って戦われるということである」
浅利氏が、「語り継がなければならない」と強く思った背景には、こういった当たり前のことすらが忘れ去れようとしている現状があるのだ。いよいよ、三部作を求めて、名古屋に行きたくなってきた…。
夕方のお寺は訪れる人もおらず、修行中の禅僧が夕刻の修行に追われているような感じで、ここだけ世間から隔絶された空気が流れているようだった。「中国風」と言われる寺だけど、神様が中国風なのを除けば、日本の古き良きお寺という感じ。僧の生活の元となるでっかい「木魚」があって、その音を聞いてみたいと思ったけど、僕がいる間は鳴らなかった。
あの頃、きっと僕はここを訪れていたんだろうけど、その情景は覚えていない。20年という月日は僕たちにとって、とても長い月日だったけど、350年も存在しているこのお寺からすれば一瞬で、「おや、また来たの?」という感じなんだろうなぁ。最近、「20年」についてよく考えるのです。
今日も、特に飲む必要はなかったんだけど、会社の先輩と後輩と行ったイタリアンでワインがあって、「まぁイタリアンだし一杯だけ…」とワインを飲んでしまう。一口だけのつもりだったけど、後輩が容赦なく…。結局ワイン3杯くらい飲んでしまうこととなった。
酒を飲むというのはこういうことかー、と思い出す。心臓ドキドキ頭クラクラ、眠くなるし…。こんな体に良くないものが何で合法なんだろうか?あと1杯飲んでたらトイレに駆け込んでいたであろう。そう言う訳で、今後10年はこんなにお酒は飲まないと思います…。
プレイスMに瀬戸さんがいなかったので、これはあきらめて恵比寿へ。個展のたびにお世話になっているシグマラボを訪ねて、大きく引き延ばす写真の発注をする。ライトボックスでポジと睨めっこするカメラマンの中で、ネガと向き合う。昔からこういうアートな(?)職場に憧れていたので、こんな雰囲気もちょっと嬉しい。 またもやお金もかかりそうだし、納期も無理をお願いしないとならないけれど、とにかくココまで来たら、あとは「形」にするだけだ。
続いて銀座。上海アートフェアのメンバーで作る作品集の色校正チェック。デザインも編集も良い感じなので、完成が楽しみ。「New Visions of Japanese Photography 日本撮影師的新視点」は、将来、プレミア付きの幻の写真集、になるといいなぁ。
更に渋谷へ。写真展のたびに手伝ってくれている元ADのマンボウさんと打ち合わせ。写真など撮ったこともないのに、マットの発注などは心得ているのだ。マンボウにもプランを説明し、今後の段取りを説明。
それから一度、世田谷の実家に戻って車を置いて、荷物をもって再び港区。久々に友人のアンコちゃん夫妻の家を訪れて、HD録画されていた亀田兄弟など見ながらよもやま話。んで、そのまま朝を迎え、新幹線で大阪へと向かったのでした…。
僕は、人が死んだり傷ついたりする現場をしばしば訪れるし、実際に傷ついた人の話を聞くことも多く、滅多なことでは感情的にはならない(ようにしている)、と思ってました。ましてやドラマで(感動こそすれ)泣くなんて…。
…泣きました。我ながらビックリするくらいに涙が出ちゃう。途中でDVD返却して新しいのを借りるとき、店員さんに「涙目」を察知されるのを怖れて時間調整する位、滂沱の涙を流したのでした。
簡単に言うと、15歳で「脊髄小脳変性症」に冒された少女が、病気と闘いながらどんどん体の自由を奪われていって…という話です。病気については色々と思うところがありますが、ともあれ、ドラマとして良く出来ています。少女の話と母親の話をカットバックで見せるところとか、曲の使い方とか、すごくいい。あと、陣内孝則の演技がものすごい涙を誘う。
そんな時に適切なアドバイスをくれる友達がいる、というのは有り難いことである。彼女は冷静な目を持ち、ズバズバと意見を言ってくれる。今の僕にはそういうレベルの意見がとても必要なのだ。…てな訳で、今日の休みを利用して銀座まで作品を見てもらいに行くことにする。そのため、ほぼ完徹でブックを作り、模型も何とか形にした。
新幹線を何度も変更して結局昼過ぎに大阪を出て、3時半に東京駅に着いた。クタクタの体を足つぼマッサージでほぐして、友人宅へ。予想通り、ズバズバズー!っと意見をもらう。でも、写真自体は悪くないようだったから、よかった。
9時18分の最終で大阪へ。12時過ぎには部屋に戻る。何だか、京都か神戸に行く感覚で東京に行けるんだな、ということがわかった。(金はだいぶかかってますが)
水俣病の患者は、慢性とか劇症とか色々あるんだけど、話を聞いた人は、薬を飲まないと頭を殴られるような激痛が走ってのたうちまわり、手の自由が利かなくなるそうだ。 朝起きた時、今日は手が動くか、足が動くかを確かめるし、夜寝る前は睡眠薬を飲まないと眠れない、そんな毎日を送っている。 故郷で、元気だった姉が劇症型の水俣病にかかった。そして1年間、全く文字通りの「村八分」に遭った。夜中にこっそり漁をして、そこで獲れるものだけで食いつないだ。
今まで、知識でしか知らなかった「水俣病」。しかし、実際は何も知らなかったのだな、ということを痛感する。