2004/3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2005/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2006/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2007/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2008/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
31.May.Wed
【ボーリング】
 動シーズンなので、職場の飲み会が多い。今日は、ボーリング大会まで催された。ボーリングというのは、調子いい時はいいけど、あまり得意な方ではない。あと、ストライクやスペアの時にやるハイタッチ、あれ、とても苦手だなぁー。(タイミング合わせられなくて、緊張する!)

 んな訳で、東京行ったり上海行ったり、大忙しの5月でありました…。

29.May.Mon
【それぞれの日常】
 の夜遅くに大阪へ戻り、朝から会社へ!このあたりの切り替えが二足のワラジを履くモノとしてのポイントです。和歌山まで行ったりして、2日連続で関空への道を辿る。
 
かも、仕事終わりでトータルワークアウト。一通りのトレーニングが終わったあとで、更に走り込んだりして疲れる。。。どちらを優先させるか、ってことだけど、最近、英会話に全然行けてないなぁ…。
28.May.Sun
【消え行く街】
 から上海アートフェアに顔を出し、相変わらず「売れないなぁ」と嘆いた後で、3日連続の預園へ。綺麗な日差しの中で、いかにも中国風の窓枠が美しい影を作る。日曜日、世界中から集まった人達があちらこちらで同じように影を作りながら楽しそうに行き交っていた。

 
を撮ったり撮られたりしながら観光地で過ごす昼下がり。そんな瞬間の一つ一つがとても貴重で、かけがえの無いものに思える。カメラの前で微笑む人達は、一体どこからやってきて、どこへ行くのだろうか?無数の偶然が組合わさって生まれたこの昼下がりを、僕は決して忘れることはないだろう。そうしてまた一つ、僕はシャッターを切る。
 、目をつけていた上海の廃墟。アフガニスタンのようだ、と思ったそこは、予想通りのすごい場所だった。ガシーンガシーンと、ハンマーの音。今日は日曜日だというのに、手作業で建物を壊す男たちがいる。

 
みたいに、工事現場だからと囲いを作ることもなく、廃墟の中にかろうじて建っている建物にいまだに住んでいる人もいるという有様。きっと、この辺りも一気に近代的な街並に生まれ変わるのだろう。「今しか見れない光景を、きちんと押さえてみよう」との思いで、飛行場に向かうギリギリの時間まであちこちでシャッターを切りつづけた。
 影時間は、およそ1時間くらい。夕方の飛行機に間にあわなくてはならない。撮りまくってフィルムが無くなり、すぐに近所のコンビニ(この光景のそばにコンビニがあるのが凄いが)でフィルムを追加してバーっと撮る。あらゆる場所に被写体が溢れている場所。ココを撮るためだけにでも、もう一度上海に来たいなぁー…と思いつつ、タクシーで上海へ。

 ときとはうってかわって軽ーくなった荷物で飛行機に乗り込み、新幹線に乗るくらいの時間で関西空港に到着。電車にのって、あっさりと大阪の家へ。明日からまた仕事だぁ…。

27.May.Sat
【上海日和】
 く寝たー!って感じ。上海にはパソコンを持って来なかったので、mixiもできれなければ個展の準備もできない。よって、開き直って睡眠!結果、滅多にないような深ーい眠りにつくことができた。
 
、今日はグループで展示を行なっている上海アートフェアの会場へ行く。ホテルから歩いて20分くらい。途中、アジアによくある揚げ物屋さんみたいなトコロで朝食を買い、肉饅屋で肉饅を買い、モシャモシャと食べながら、公園を抜けて歩く。
 
場は、世界貿易城というところで、いわゆるワールドトレードセンター。近代的なビル。周りには、ココに入る為のダフ屋がウロウロしている。そう言えば、昨日会ったTさんも、入館症が無かったから散々苦労したと言っていた。

 分の作品を展示しているのに、入場券が必要とは如何なものか?まぁ、大人数での展示なのでパスが足りなかったということなんだけど、とりあえず使い古しの半券を折り曲げて、再入場を装って侵入成功!
 
こには、初めて見る、でっかく引き延ばされた自分の写真があった…。

 海アートフェア。広大な会場をぐるりと見回してみたが、ほとんどのブースは「絵画」ばかり。写真をメインにしているブースは、100個中2個くらい?な感じ。だからなのか、他の理由からか、足を止め、中に入って見てくれる人はかなり多い。自分の個展も、コレくらい入ったらなぁ…と思う。

 直樹、石塚元太良、勝又邦彦、加藤友美子、川村麻純、友長勇介、頭山ゆう紀、菱田雄介、良知暁というメンバーは、それぞれ撮っているものもやっていることもバラバラだけど、それが一緒になって、かなり面白いラインナップだなぁ、と思う。キュレーションを主にやった川村さんが考えていたのは、(まずは)こういうことなんだ、と納得した。

 かしまぁ…、作品がそう簡単に売れるものでもなく、値段交渉にすら至ることもなく…。まぁ、仕方ないか。。。会場に来ていた友長さんや良知さんと話せたのは面白かった。「写真」について、深くきちんと語る機会って、あるようで無いので、脳の筋肉が刺激された感じ。

 、一旦莫干山路に額を届けに行ったりしたけど、5時半のクローズまで店番などしていた。その後、どこへ行こうかなぁ…と考えたときに、まっさきに思いついたのが「租界」だった。中国にとってはイイ迷惑だったに違いないが、僕はこの「租界文化」というものにノスタルジックな魅力を感じる。
 
まさしの歌で、「フランス租界のオバサンのパンの香りが…」みたいなのがあって、(うろ覚えだけど)とにかく、そういう戦前の東洋と西洋が渾然一体となった雰囲気に憧れるのだ。

 んな訳で、やって来たのは旧日本人租界のエリア。魯迅の住んでいた家なんかがあるので、そこを目指す。上海は、中国とは思えないくらいに移動がラクで、タクシーに目的を言えば、全くスムースにその場所に連れて行ってくれる。今まで、何度も中国を旅したけど、そのたびにタクシーに料金交渉をし、「高い!」と言って安くし、目的地に着いたら再び値上げするのを押え込む…という感じだった。しかし、上海のタクシーは、全く文句を言うこともなくメーターを倒し、メーターがきちんと作動し、料金をボラれることもないのだ…。

 日本租界には、戦前のものと思しき石造りのアパート群が並ぶ。以前、旧満洲で見た「興亜式」と呼ばれる、中国と西洋の折衷された建物に似ている。低い天井の下の、昔サイズの窓からは、租界時代と同じように、今日も夕ご飯を用意する音が聞こえる。

 
の国が支配しようが、どんな文化が持ち込まれようが、淡々を受け流して来たこの街からすれば、「租界」なんていう時代はほんの少しだったのかもしれない。それでも、この街で暮らし、生きた日本人たちがいたという不思議を、少しでも味わうことができてよかったと思う。

 「写を撮らせて」とお願いしたオジサンが、いきなり太極拳のポーズをとった。50mmのレンズでは、引ききれない!と、焦りながら頑張って撮影。僕のスーパー片言の中国語によると、彼の太極拳の師匠は新聞にも載ったし、日本にも行ったことがあるそうだ。…多分。

 暮れたので、昨日に引き続き預園をブラブラして小龍包とスープ。飲み物と合わせても300円くらいの夕食を頂く。そして、預園から上海の有名な外灘(バンド)までは歩いて行けそうだ、ということでテクテクと歩いていく。

 と過去が混在する街、上海にあってこの場所は完全に過去を生きていた。車と人とリアカーがごちゃ混ぜになった道。ちょっと入れば、薄暗い路地に干された洗濯物と、家々の漏れ灯り。地元の人が料理を「食べる」ためだけに集まる、本当の「大衆食堂」。三丁目の夕日のような、剥き出しの生活がそこにあった。

 わりゆく中国という国にあって、トップを走って「変化」を続ける上海。昭和30年代の東京のように、「古き良き」時代がどんどん遠ざかって行くのだろう。(オリンピックを控えた国ってどこもそうなるんだろうか?)そんな中で、古き良き上海の姿が垣間見えたような、そんな場所だった。

 の商店街と、この外灘(バンド)の間には、何とも広大な廃墟が広がっていた。一瞬、ココはアフガニスタンか?と思ってしまうような荒野の向こうに見えた上海タワー。「明日、撮りにこようっと…」と、思いながら、三脚を持って来なかったことを後悔する。

 
れでも頑張って撮った上海タワー。どうしてこのデザインを選んでしまったんだろう?というようなキッチュな感じがとても可愛い。不思議な街、上海。明日帰るのが勿体ない!!
26.May.Fri
【上海上陸】
 ラガラガラ…とキャリアーの音が大阪を行く。背中にザックを背負いながら、でっかいパネルを運ぶ。まずは家から難波駅まで。これはタクシーを使った。
 「お客さん、それ何?運ぶの、大変そうだねー」
 …まさか、上海のギャラリーまでこのまま行くとは思うまい。難波駅から関西空港へ。一番の不安はこんなデッカイ荷物を運んでくれるかどうか?ということ。

 ィリピンの人とか、信じられないくらいデッカイ荷物を平気で運んでいるもんなぁ…と、自分を励ましつつ列に並ぶ。案の定、中国人と思われる人が、意味不明に大きな荷物をチェックインしていた。
 で、遂に僕の番。さりげなくドスンとパネルをカウンターへ。割れ物ではない旨をサラリと伝え、さも当たり前のように振る舞う。すると、男性職員がやってきて、困った顔。
 「ダメ?」と、思わずドキリとするが、どうやら、どこにシールを貼ろうか迷っているようで一安心。これで、パネルを上海まで運べることになって一安心。

 行機は爆睡で、気付いたら上海に到着していた。噂には聞いていたけど、中国とは思えない程(失礼ですが)ものすごい近代的。電光掲示板とか、かなりオシャレな感じ。無事に届いていたパネルを転がして税関を通る。「税関でややこしいコト言われたら嫌だなぁ…」と思っていたんだけど、前にスゴイでかい荷物を持っている人がいたので、全くのノーマークで通過できた。

 、5番のバスで上海駅まで行き、そこから歩いて20分ほどのギャラリーにガラガラガラ…とパネルを引いて行く。上海の人も、「何じゃこいつは」という目。何か、アートパフォーマンスをしているみたいになってきた…。

 干山路(もーがんしゃんるー)というのは、上海アートシーンでも重要な位置を占める、ギャラリー村みたいなところである。元々は工場だった場所で、その廃墟っぽい建物を利用してアートギャラリーが入っている。日本で言うと、タカイシイとかがある、下町のギャラリー地帯みたいな感じでしょうか?日本からエッチラオッチラ運んで来たパネルは、来週、ここにあるギャラリーに展示されるのだ。
 
り組んだ迷路のような莫干山路。ガラガラと彷徨っていると、「日本人の方ですか?」と声がかかる。何と、今回、一緒に展示をするTさんと、その奥さんだった。パネルに貼ってあったJALのシールと、カメラをかけた姿にピンッときたらしい。とにかく、一刻も早くギャラリーに作品を預けてしまいたい僕には、救いの声だった…。
 
Tさん夫妻は中国留学中に出合ったくらいなので、中国語が話せる。僕はすんなりとギャラリーに着き、ようやく作品を搬入することが出来たのだ。思えば長いみちのりだったが、Tさん夫妻(with子供さん)に出合うには、ベストなタイミングで到着した、ということであろう。「旅は道連れ、世は情」。何だかんだで1時間以上もギャラリーでゆっくりとお話しし、更に、他の参加者の宿泊しているホテルまで教えてもらう。
 
で夫妻に出合っていなかったら、このホテルに辿り着くのに、かなり苦労したはずだ。(僕がホテルの住所の控えを持って行かなかっただけなんだけど…)そんな訳で、身軽になった僕はタクシーで、今回の主催者である写真家2人の泊まるホテルへと向かった…。
 国語しか通じないホテルだが、一泊258元という安さで即決で宿泊を決める。そして、遂に川村さんと加藤さんと再会。とりあえず、ご飯を食べようということで、預園という、昔、上海城があったところへ行く。
 
に、有名な小龍包屋さんがある。行列の先にあるのは、16個で8元(100円ちょい)の小龍包だ。常に観光客で賑わうこの店で小龍包を買い、閉店間際のゴマ団子の美味しいお店に持ち込んで、共に食べる。2つ合わせても200円ちょっとくらいだけど、これで満腹となったのでした!昨日は会社で中華丼を食べていたのに、翌日は本場中国で小龍包を食べられるとは、便利な世の中だなぁ…。
 のお楽しみは足つぼマッサージ。50分で75元というのは、日本のおよそ8分の1くらいのお値段でしょうか?日本でこの値段だったら絶対毎日行く!という感じである。
 
かったのは、2人が昨日も行ったという、地元の人しか来ないようなマッサージ屋さん。僕らが到着したときも、「寝る前にいっちょ揉んどくか」的な地元のオジチャンオバチャンで賑わっていた。しばらく待った後に、念願のマッサージ。あんまり力が強くなくて、途中で「もっと強く!」とお願いするも、お姉さんの力の限界があったのか、僕の足が鈍感になりすぎたのか、今イチなのであった…。
 
もまぁ、店の看板娘(?)が可愛かったのでヨシとしましょう…。
25.May.Thu
【準備を…】
 事終わりで、会社の人たちにmixi講習会。最近、アビバ的にmixiを教える機会が多い。家に帰ったら11時!明日からの上海の準備をしなくてはならない。ちなみに「ART SHANGHAI2006」は今日から始まっており、お客さんも沢山入っているそうだ。まぁ、売れてはいないけれども…。
 に持って行かなくてはならないモノがある。5月31日からのグループ展で展示する写真パネル2枚だ。昨日、東京から届いたんだけど、幅120cm、高さ80cm、重さ16キロ。かなり重い、というか、運びにくい。とりあえず、小さなキャリアーがあるので、それに無理矢理くくりつけてみる。
 
、今回のグループ展参加者の作品をまとめた「冊子」を30冊運ばなくてはならない。これも重い!着替えとか、ほんのちょっとなんだけど、何だかんだと荷物が増える。
24.May.Wed
【またもや京都!】
 にかく、上海用の作品のマットがないので、大阪の画材屋さんで頼んでみる。待たされるかな…と思ったけど、今日中に出来るというのでホッとする。昨日から来ている母&妹と心斎橋で合流して、区役所へ。色々と書類がいるらしい。
 
に来て10ヶ月で初めて部屋に来た2人。「意外と狭い」「本が多すぎる」という感想。なんだかんだで、「そうだ、京都へ行こう」と相成る。今月3回目の京都だ。
 っぱり、思わず足が向いてしまうのは、清水寺。ここで特筆すべきは、やはり妹のよーさんのオミクジである。楽しそうにオミクジを引くよーさんを見ながら、僕は母に、「どうせ大凶かなんかだろう」と話していた。
 
かし、さすがに「大凶」は用意されていないらしく、よーさんが見事に引き当てたオミクジには、しっかりと「凶」と書いてあった…。
 
は、前回引いたオミクジも「凶」であり、2回連続。これは、やりたくても中々できるものではない。ある意味すごい。彼女の前途に幸多からんことを願う…。
 をグルっとまわって、こないだ行ったお汁粉屋さんに行って…というコンパクトながらもまとまったコース。時間が2時間くらいしかないから、バタバタとするも、知ってるコースなのでかなり京都な感じ満喫。

 都駅で2人と別れ、閉店間際の画材屋さんでマットを受け取り、着替えて出かけてトータルワークアウト…。忙しすぎるのもいかがなものか、と思う!

23.May.Tue
【海は広いな!】
 日は仕事で海の上にいました。
 海上に出るまで忘れていたんだけど、今日は朝から雨模様。よって波も荒い。
「船酔いは大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
なんて答えたものの、僕は三半器官が弱い事には、自信がある。遊園地の回転系の乗り物は一切駄目だ。船が走っている間はいいけど、停泊するとツライ。
 ユラーリユラリと天地が揺れる。
 緊張しているから、最初は良かったんだけど、次第に気持ちが悪くなってくる…。うー…。
船室には既に撃沈した人が…

 
つて、和歌山沖でトビウオの掬い獲り漁というのを体験したことがある。夜、集魚灯に集まってくるトビウオをタモアミで掬う、という漁。早朝からの移動の連続のしめくくり。しかし夜になってますます波は荒くなっていた…。
そして勿論、そんな海ではトビウオも飛んで来ない。
地獄だった…。
結局、4センチくらいのトビウオの子供が偶然、網に入ったことで終了したのだけれど、その帰り道、僕は海に向かって思う存分…(以下自粛)
僕の仕事人生の中でも最もシンドかった事件の一つだ。

 
じような状況を、再び迎えることになった。
船が大きく揺れる。もう、木の葉のようにグルングルンと揺れまくる。
僕は1人、船の後部へ。
そういえば、朝から何も食べてない。しかし、僕の口…(以下、自粛)

 
なみに、スーツ姿の僕は、波しぶきを全身に受け、空からの雨に打たれ、挙げ句に泥を至るところに付けながら、そのまま帰港し、新幹線で大阪に戻って仕事を続けたのでした…。

長い一日。

 
らに、母親と妹が大阪に来るとの報せを聞いており、終了後、今度は梅田のホテルへ。
さっきまで漁船に乗っていたスーツ姿のヨレヨレの人(何らかの事件に巻き込まれたとしか思えない)は、リッツカールトンホテルのレストランで食事をしたのでした。。。

 
についたのが夜の11時頃。帰りのタクシーで、今度は出版社の人から電話。写真のファイルを大量にサーバーにアップすることとなる。
 
風呂にお湯をはりながら、ファイルを整理し、忘れかけていた「.mac」の使い方を思い出しながらアップロード作業。
 結構試行錯誤の末、風呂に入ることもなく撃沈!板の間で、突っ伏したまま朝を迎えるのであった…。
22.May.Mon
【バタバタバタ】
 真関係で、追い込みの日。もう、何のスタンプラリーか、って位、東京をかけずり回った。
何故かというと、めでたいことに、来月号の写真雑誌に作品を掲載させてもらえる事になったんだけど、肝心のプリントやネガが東京のアチコチに散逸しているため、とにかくプリントをこさえて、編集部に持ち込まなくてはならないのだ!

 ず最初は恵比寿。シグマラボに注文しておいた六ツ切りを受け取る。続いては青山。ある出版社に預けていたプリントを一旦、回収。同時に、プレイスMで焼いてもらった写真が、バイク便で、その写真雑誌の編集部に届く。
 そんな訳で、銀座方面にある編集部にお邪魔して、かき集めたばかりの写真を並べながら打ち合わせ。結局、写真を渡して向こうにまかせる事となった。

 池袋。今回の個展やグループ展用のアクリル装飾をして下さっている「カシマ」という会社に、挨拶に伺ったのだ。僕たちの写真仲間の中ではかなりの有名人である、Hさんと遂に対面を果たし、写真の話を色々と伺う。Hさんは、写真界に出て行こうとする若手のお父さん的存在。僕の写真を気に入って下さったようで、嬉しい限り。
 
らに、つづいて新宿の世界堂へと向かい、上海のグループ展用の額を購入。マットを切っている時間的余裕もなく、結局額だけを買う。一気に荷物がかさばって重くなる。空を見上げると、新宿上空には飛行船が浮かんでいた。

Shinjuku
Tokyo
 後に向かったのは、再び青山。詳しい事は6月に入ったら書けると思うんだけど、何と早くも2冊目の写真集が出るので、その打ち合わせである。嬉しいけど大変、な感じ。この出版については、とある賞を受賞して、ということになるので、その賞の発表まで待たないと言ってはいけないのです…。

 んな慌ただしい一日を過ごし、蒲田経由で、品川駅から新幹線に乗る。新大阪についたのが午前0時。さらに、会社に行って、翌日の仕事の準備やら何やら。あー忙し。

21.May.Sun
【二子玉】
 過ぎに会社を出て、そのまま東京へ。昨夜はほとんど寝ていないので、新幹線はグッスリ。そんな訳で、ほとんどワープしたかの如く、気付くと新横浜の駅にいた。

 
が家は今、新居を探しているので、今日も帰宅早々、物件を見に行くハメに。場所は昨年まで暮らした二子玉川。東京に帰る事はあってもニコタマに行くことは無かったので、久々であった。
Futako
-tamagawa
Tokyo
 子玉川は今、おおいに変わりつつある。昔ながらのゴチャゴチャした街並みを残す駅前が開発され、何やらすごい街ができてしまうらしい。都会と自然の中間地点のような雰囲気が人気の街なので、その雰囲気は壊さないで欲しいと思うが、ともあれこの街は幼き頃から、憧れの地であった。
 
際に観た土地も、申し分のないロケーションで、これは決まりか??という感じだった。(…が、後に再開発で景観が変わることが判明して暗礁に乗り上げる…)
Den-en cho-fu
Tokyo
20.May.Sat
【誕生日】
 でたいことに、誕生日。何を隠そう、34歳になってしまった。ついこの間まで15歳になったり25歳になったりしていたと思うんだけど、割とあっさりと34歳到達!

 
ランスのビデオアーティスト、ミシェル・ゴンドリーが「ずっと12歳のまま」というのを信条にしていますが、僕は全く彼に共感しています。12歳の時に較べて、行動範囲も広がったし、好きなものも増えたけれど、あの頃好きだったもので、嫌いになったものは何一つないし、嫌いだったもの(例えばワサビとチョコレート)は、いまだに大嫌いです。きっと56歳になっても、それは変わらないでしょう。人生のリアリティというのは、そんな事だと思います。

 会社に泊まりこみの誕生日ですが、気の利くアルバイト君が小さなケーキを買って来てくれました。メールをくれた人、プレゼントをくれた人、みなさん、本当にありがとうございます!!

19.May.Fri
【海外で展示する
    という事】
 、写真家の野口里佳さんの講義を聴講したとき、彼女はイギリスでの個展をいかに行なったか、について話してくれた。その時彼女は、展示会の始まる随分前から現地に住み、その町で額を作って個展開場を作っていった…みたいなコトを話していた。「作品は既にあるのに、何故そんな事を?」と疑問に思ったものだ。

 彼女の行為の意味がよーく分かる。特に大きな作品の場合、日本で額装して海外に運ぶとなると、大体、額の値段の倍くらいの輸送料がかかったり、内容を証明する書類を書いたりと、かなり厄介だ。とにかく、金がかかる。だから、作品だけ日本でプリントしておいて、現地で額装する。そして、売れたら額ごと現地で売ってしまえば、手ぶらで帰って来られるのだ。

 めて、もっと小さい作品にすればよかった…。今日、横幅1m30cmの我が作品が、上海に向けて旅立った。

18.May.Thu
【無題】
 は当然のこと、毎日、何か一つは必ず写真関係のコトをこなさなくてはならない。5月末からの上海での展示に6月の大規模な個展。後回しになっていた、上海のグループ展のレイアウトを考えなくてはならない。
 
らない…って、もうとっくに発注は終わってるんだけど、「よく考えたらポスターに入れている写真が、展示作品に入ってないじゃん!」という事に今さら気付いて、慌てる。で、それを元に改めて展示プランを考えてみる。うーん、何とかなりそうな気がしてきた。
17.May.Wed
【仕事です】
 通に仕事の日。入社11年目ともなると、仕事、といってもどんどん責任が増えていくなぁ、と痛感したりする。同時に、上海のグループ展での最終的な作業もこなす。そんなことをしていると、一日はアッという間にすぎてしまう。いつも。
16.May.Tue
【写真とは何か】
 のアンケートに答えさせてもらえることになった。使っているカメラとかフィルムとか、そんなのは簡単なんだけど、難しいのは、核の部分。

 あなたにとって「写真」とは?  あなたにとって「撮影行為」とは?

 はある。確実に自分の中にある。しかし、それをいかにわかりやすい形で言葉に置き換えるか?これがとても難しい。捻りだす、というよりも、削り出すような作業。その答えは…
 6月に発売される、雑誌が出たら紹介します!!

15.May.Mon
【久々!】
 気に、トータルワークアウト(ジムね)を2ヶ月あまりもサボってしまった。忙しかったり体調を崩したりしていたコトもあるんだけど、そうなると、逆に体を動かしたくてたまらなくなる。
 
事終わりでジムに直行。あとはいつもの地獄巡り!100%筋肉痛になるのをわかっていて、最大限の負荷をかけて「ウガー!」と筋肉をいじめる。いわゆるAパターンを終えたあと、更に別メニューを提案され、フラフラしながらチャレンジ。最初の30回が終わったところで…。。。

 の前真っ白、耳は遠くなり、もう1mmも体動かせません!という感じになる。要は、酸欠で血が引いているのだ…。
 
れでもまぁ、体を動かすのは気持ちいい。トータルワークアウトの裏メニュー「K-1」を勧められ、まんざらでもない僕がいたりするのだ。。。

14.May.Sun
【そうだ
 京都に行こっと】
 曜日も仕事だったけど、日曜は休めた。で、京都に赴き、劇団四季の方のご好意で、ミュージカル『南十字星』の千秋楽を観せて頂きました!劇団四季の昭和三部作(他は『李香蘭』と『異国の丘』)は、そのコンセプトからして興味があったんだけど、中々見に行けなかった作品。

 の連続公演の最後の最後に行って、今さら「全部見たいなー!」と思ってしまいました。何よりも、浅利慶太氏のコンセプトに強く共感を覚えます。
 
 「私は、戦争に正しいものと、そうでないものがあると言いたいのでもない。いつも考えることは、たとえどんな崇高な目的があったにしても、戦争は民衆の、国民の凄まじい犠牲を伴って戦われるということである」

 利氏が、「語り継がなければならない」と強く思った背景には、こういった当たり前のことすらが忘れ去れようとしている現状があるのだ。いよいよ、三部作を求めて、名古屋に行きたくなってきた…。

 、せっかく京都に来たので、お寺にでも、と思ってバスに乗る。お寺と行っても、修学旅行で京都を覚えた時のスリコミで、気付けば清水寺へ。バスを降りるとき、五千円札しかなくて、運転手さんも両替できなくて万事休す!となったんだけど、乗客の女子大生(想像)が、「私、両替できます!」と名乗り出てくれてすっごく助かりました。世の中、捨てたもんじゃございません。  
 
水寺への参道は、修学旅行生と外国人と一般日本人でごった返して、それが夕日の中で渾然となる。遥か昔に同じように学生服でこの参道を歩いたコトなんぞを思い出しつつ、写真なぞ撮りつつゆっくりと歩く。
り道、ふとしたことから京都のおばあちゃんとお話。92歳の彼女は、カクシャクとしてお元気。彼女が生まれた頃は、まだ第一次世界大戦が始まったばかり。太平洋戦争のときに、今の僕と同じ年だった訳だ。おばあちゃんの家はお汁粉屋さんで、常連にかの竹久夢二がいた。
 「他の人は、夢二、夢二と言うけど、私は知ってるから『夢二さん』と言うんです」
ばぁちゃん、すげー!と、素直に感動。そのお汁粉を頂いて、大阪に戻ったのでした…。
12.May.Fri
【萬福寺再訪】
 で京都に行ったんだけど、約束までちょっと時間があったので、近くのお寺に行ってみた。黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)。1654年にインゲン豆で有名な隠元禅師が開いたお寺で、かなりでっかい。中学校時代の修学旅行でのグループ旅行で来た事があったので、何となく覚えていたお寺だ。

 のお寺は訪れる人もおらず、修行中の禅僧が夕刻の修行に追われているような感じで、ここだけ世間から隔絶された空気が流れているようだった。「中国風」と言われる寺だけど、神様が中国風なのを除けば、日本の古き良きお寺という感じ。僧の生活の元となるでっかい「木魚」があって、その音を聞いてみたいと思ったけど、僕がいる間は鳴らなかった。

 の頃、きっと僕はここを訪れていたんだろうけど、その情景は覚えていない。20年という月日は僕たちにとって、とても長い月日だったけど、350年も存在しているこのお寺からすれば一瞬で、「おや、また来たの?」という感じなんだろうなぁ。最近、「20年」についてよく考えるのです。

11.May.Thu
【お酒を飲む!】
 、お酒の席に行ってもお酒を飲むことはない。会社に入った頃なんかは、年齢的に付き合い、というか強制的に飲まざるをえなかったのだが、最近は一切飲まずにすませてきた。

 日も、特に飲む必要はなかったんだけど、会社の先輩と後輩と行ったイタリアンでワインがあって、「まぁイタリアンだし一杯だけ…」とワインを飲んでしまう。一口だけのつもりだったけど、後輩が容赦なく…。結局ワイン3杯くらい飲んでしまうこととなった。

 を飲むというのはこういうことかー、と思い出す。心臓ドキドキ頭クラクラ、眠くなるし…。こんな体に良くないものが何で合法なんだろうか?あと1杯飲んでたらトイレに駆け込んでいたであろう。そう言う訳で、今後10年はこんなにお酒は飲まないと思います…。

10.May.Wed
【大阪へ】
 いう訳で、今日は眠かった。でも、午後によからぬ事が発生してからはスッパリと仕事モードになりました。更に、個展用の写真の発注準備をしようと思ったけれど、眠くて果たせず…。
09.May.Tue
【東京その2】
 は忙しかった。実は、実家で家探ししているので、都内の物件を偵察。その後、家から自分の車(久々)で、新宿へ。ニコンサロンで展示プランを見せて、ついでに個展の案内ハガキを800枚もらう。こんなに沢山、どこで配ろうか?
 とりあえず、今までギャラリーでやったときは1000枚印刷して、ギャラリー指定の住所に送って、あとは捌くのが大変だった。今回は、6000枚をニコンが捌いてくれるらしい。

 レイスMに瀬戸さんがいなかったので、これはあきらめて恵比寿へ。個展のたびにお世話になっているシグマラボを訪ねて、大きく引き延ばす写真の発注をする。ライトボックスでポジと睨めっこするカメラマンの中で、ネガと向き合う。昔からこういうアートな(?)職場に憧れていたので、こんな雰囲気もちょっと嬉しい。
 またもやお金もかかりそうだし、納期も無理をお願いしないとならないけれど、とにかくココまで来たら、あとは「形」にするだけだ。

 いて銀座。上海アートフェアのメンバーで作る作品集の色校正チェック。デザインも編集も良い感じなので、完成が楽しみ。「New Visions of Japanese Photography 日本撮影師的新視点」は、将来、プレミア付きの幻の写真集、になるといいなぁ。

 渋谷へ。写真展のたびに手伝ってくれている元ADのマンボウさんと打ち合わせ。写真など撮ったこともないのに、マットの発注などは心得ているのだ。マンボウにもプランを説明し、今後の段取りを説明。

 れから一度、世田谷の実家に戻って車を置いて、荷物をもって再び港区。久々に友人のアンコちゃん夫妻の家を訪れて、HD録画されていた亀田兄弟など見ながらよもやま話。んで、そのまま朝を迎え、新幹線で大阪へと向かったのでした…。

08.May.Mon
【東京その1】
 い荷物をガラガラと引いて、先週に続いての東京へ。有楽町で友達に会ったあと、銀座へ。今度の上海のチラシとポスターが出来上がっていた。このグループ展は、キュレーションをしている人が優秀で、すごく可能性を秘めた展示だと思っている。
 海アートフェアをきっかけに、「世界」に勝負に出よう、という、そんな意気込みでやっている。それに関連して、色々と将来的な話もあり、なかなかいい感じである。

 
して、写真を見る目に長けた友人に、NIKONの個展プランを見てもらう。落とすもの、入れるものあって、すっきりまとまった感じ。「あくまで菱田さんの展示だから、最終的には自分で決めればいいよ」と言ってくれて、確かに頼りっきりはよくないのでどっか変えようと思うも、変えようがないなー…。
07.May.Sun
【スパート!】
 は2週連続で泊まり仕事。幸いなことに、日曜の午後には帰ることができた。眠いながらも、明日には東京で個展の内容を見てもらおうと思っているので、あーだこーだとプランを作る。前回作ったよりも、写真の数は大幅に減らして、みどころを絞っていく作業。当初の3分の1くらいになった。
05.May.Fri
【混雑】
 ールデンウィークは結構、仕事。今日はずっと会社で仕事しておりました。でも、皆と同じ時期に休んで混雑しているところにいるよりも、静かな会社で仕事してる方がいいかも。写真は、昨日の道頓堀。たこ焼き屋さんなんか、300mくらいの行列が出来てて、ほとんど動けないくらいに混んでいた。
Doutonbori
Osaka

 おわったら、速攻帰宅して「1リットルの涙」最終回。ちょっと間をあけてしまったが為に、完全に乗り切れずに終わる。でも、昨日書いたように、このドラマの良さ、というか意義はそういうコトだけではないので、まぁいいでしょう。
 
の準備、あんまり進まず…。上海のグループ展の方も、一気にやらないと!!!
04.May.Thu
【1リットルの涙】
 さらですが、DVDで「1リットルの涙」を見始めてしまいました。去年、友人のアンコちゃんに超オススメされていたのですが、何となく見てなかったのです。しかし、何となくいいドラマっぽいし、見ておいた方がいいと思ったので、まずは2本、続けて3本…と、一気に10話分見てしまいました。

 、人が死んだり傷ついたりする現場をしばしば訪れるし、実際に傷ついた人の話を聞くことも多く、滅多なことでは感情的にはならない(ようにしている)、と思ってました。ましてやドラマで(感動こそすれ)泣くなんて…。

 …泣ました。我ながらビックリするくらいに涙が出ちゃう。途中でDVD返却して新しいのを借りるとき、店員さんに「涙目」を察知されるのを怖れて時間調整する位、滂沱の涙を流したのでした。

 単に言うと、15歳で「脊髄小脳変性症」に冒された少女が、病気と闘いながらどんどん体の自由を奪われていって…という話です。病気については色々と思うところがありますが、ともあれ、ドラマとして良く出来ています。少女の話と母親の話をカットバックで見せるところとか、曲の使い方とか、すごくいい。あと、陣内孝則の演技がものすごい涙を誘う。


 、いい場面で必ず雨が降るところとか、同級生やPTAのステレオタイプな描かれ方とか、若干気になるところはあるんですが、そんな事はともかく、傑作ドラマであることに変わりはないでしょう。
 
を元にしているけれど、原作とは異なる点も多いのがドラマ。それに対する意見もあったそうです。しかし、「脊髄小脳変性症」という治療不能の難病が、約1万人に1人発症しているということ、そういう病気の研究がまだまだ途上であること、そして、突然この病気になって苦しんでいる人が、この社会に沢山いる、今、この瞬間にもいるということを知らせることができるのであれば、許容範囲だと思います。
 もう、こっちが1年分くらい泣きました。日本中で何リットルの涙が流されたことか…。


 の6巻(最終巻)が、近所のDVDレンタル店で熾烈なレンタル競争になっていて、残念ながらまだ見れていません。早くみたい!!!
03.May.Wed
【GW!】
 8時から仕事。ゴールデンウィークの様々な表情をまとめる、というもの。普通のGWをやっても面白くないので、「GWにアテが外れた人々」を取材することにして、海の方面で色々と取材してみた。こういう、平和な話題というのもいいもんだ。
 
 
の日、行なわれた関空の釣り調査、つまり普段禁漁の関空島で釣りができる、という釣り人にとって夢のような企画は、大方の予想を裏切って「ほとんど釣れない」という結果になっていた。
 前回はイレ食い状態で50匹とか釣れたらしいんだけど、今年は水温が低いこともあって、1匹くらいしか釣れていない。そこでの釣り師のオジサンの一言「魚もゴールデンウィークでお休みとちゃいまっか?」ナイスコメントでした。
Nishikinohama
Osaka
02.May.Tue
【6時間の東京】
 真集にしたり、個展をしたり、写真家というのは写真を撮る以外にやることが結構多い。ある場所を訪れてシャッターを切って現像するだけでは、仕事は終わらないのだ。
 しかし、「写真を撮る能力」と「見る能力」は似て非なるものだったりする。自分で撮った写真というのは、現場での思いとか、被写体への思いとか、「写真に写っていない思い入れ」が入ってしまい、どうしても客観的に見ることができないのだ。

 んな時に適切なアドバイスをくれる友達がいる、というのは有り難いことである。彼女は冷静な目を持ち、ズバズバと意見を言ってくれる。今の僕にはそういうレベルの意見がとても必要なのだ。…てな訳で、今日の休みを利用して銀座まで作品を見てもらいに行くことにする。そのため、ほぼ完徹でブックを作り、模型も何とか形にした。

 幹線を何度も変更して結局昼過ぎに大阪を出て、3時半に東京駅に着いた。クタクタの体を足つぼマッサージでほぐして、友人宅へ。予想通り、ズバズバズー!っと意見をもらう。でも、写真自体は悪くないようだったから、よかった。

 18分の最終で大阪へ。12時過ぎには部屋に戻る。何だか、京都か神戸に行く感覚で東京に行けるんだな、ということがわかった。(金はだいぶかかってますが)

01.May.Mon
【水俣病】
 俣病は、小学校でも習うし、誰もが知っている公害の代名詞とでも呼ぶべき病気だ。でも、詳しいことは多くの人が知らないし、知られたくないと思っている人もいる。
 今日、5月1日は水俣病が正式に認められてから丸50年の記念日。ただ、病気自体はそのずっと前からあったのだから、とりあえずの記念日みたいな感じ。小池環境大臣らが、沈痛な顔をして参列している姿を、故郷を離れて暮らす水俣病患者と一緒に見た。

 俣病の患者は、慢性とか劇症とか色々あるんだけど、話を聞いた人は、薬を飲まないと頭を殴られるような激痛が走ってのたうちまわり、手の自由が利かなくなるそうだ。
 朝起きた時、今日は手が動くか、足が動くかを確かめるし、夜寝る前は睡眠薬を飲まないと眠れない、そんな毎日を送っている。
 故郷で、元気だった姉が劇症型の水俣病にかかった。そして1年間、全く文字通りの「村八分」に遭った。夜中にこっそり漁をして、そこで獲れるものだけで食いつないだ。

 まで、知識でしか知らなかった「水俣病」。しかし、実際は何も知らなかったのだな、ということを痛感する。