2004/3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2005/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2006/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2007/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 2008/1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
24.Mar.Mon
【ひさびさ会社】
イチの飛行機で大阪へ。飛行機は、実際に飛んでいる時間は50分と短いが、羽田までの移動、伊丹からの移動をくわえると、結局新幹線とほぼ変わらない。1ヶ月ちょいぶりの会社。海外にいるときは、「社会復帰できるだろうか…」なんて思ったりもしたが、きわめてあっさりと元の「会社員」生活に戻った。
ただし、今日から担当の仕事が変わるので、新入生のように色々と覚えなくてはならない。慣れるまではかなり大変そうな感じ。明日からまたハードな日々が始まる。

の歓送迎会を経て、これまた久々の京阪電車。いまだに京都に部屋があるのが不思議。23時すぎ、帰宅。こないだ2時間ほど帰宅したもののほとんど何もしていなかった京都の部屋。2月初旬の洗濯物が洗濯機の中にたたずんでいた…。風呂を沸かそうとすれば、沸かし方間違えて水風呂を入れるし、一人でバタバタする。

やっぱり、京都っていいな、と思う。駅に降りたときの感じとか空気感とか。京都でゆっくりできる時間は、もうほとんど残ってなさそうだけれど。

23.Mar.Sun
21.Mar.Fri
京都日帰り!
20.Mar.Thu
帰国!
ールでは、「東京はポカポカ陽気」なんて言われていたのですっかり暖かいのかと思いきや、雨の成田はかなり寒い。朝7時だというのに妹さんが車を出してくれてラッキー。まぁ、自分で運転して帰ったのだけれど…。

宅でちょっと休んで、午後、六本木へ。堀内カラーに、フィルムのスキャニングを出そうと思ったのだ。眠く疲れた体、雨、強風。傘をオチョコにしてむかったけやき坂の上で見たものは、「閉店」状態の堀内カラー。そういえば今日は、祝日だった…。
ま、せっかくここまで来たのでヒルズTSUTAYAを偵察。今年の木村伊兵衛賞を、本屋の展示で知る。志賀えり子は、確かになぁという感じ。正直、よくわからないのだけれど、今の写真というものは、あぁいうものなのかもしれない。TSUTAYAソファにてじっくりと座り読み。
田正治の「写真の作法」を購入。その後、ABC六本木店も偵察。さらに花代の新作などを立ち読み。さすがに足がフラフラになる。

19.Mar.Wed
帰国!
ベッドをスルリと抜け出して、同室の人達を起こさないように部屋を出る。昨日荷造りしておいたザックはパンパンで、パリで買った絵とか、現像したフィルムとかを大量に抱えて朝のパリを歩く。朝市の準備が始まる中、地下鉄を乗り継いでシャルルドゴール。
あまりに眠く、免税手続きするの忘れた…。
行機は特にトラブルもなく、12時間の苦しいフライトを経て、成田へ。旅はこうして無事に終了した。
18.Mar.Tue
お買い物など
最終日。青空がのぞく朝、まずは洗濯から。昨日もらった洗剤をふんだんに使って1時間ほどコインランドリーにこもる。
そして、様々な人のリクエストにお応えすべく、パリお買い物ツアーへ。路地裏のクールな服屋でTシャツなどを買ったり、セーヌ川沿いのブキニストから、やっぱり欲しくなった昔の地図を買ったり。セーヌ川沿いでは、魚の図鑑を見るといちいち手に取ってチェックして…という怪しい行動を繰り返した。「ラセペード博物誌」とか、普通に売っててすごい。日本でも、こういう感じで「本草綱目」とか売っていればいいのになぁ。
なみにパリで買う古い図鑑とか地図とかは、ブキニストよりも蚤の市の方が種類が多くて安いと思う。ブキニストのやつは、毎日外に置かれているから、扱いも良くないし。

、割と綺麗な夕焼けがあった。

の一日はお買い物三昧で幕を閉じ、宿に帰って荷作り。ペンタックスのフィルムが8枚余っていたので、宿から歩いて行ける場所にあるパンテオンへ行って撮影。あと、学生たちが行き交うムフタール通りとか。

る〜い(というか冷たい)シャワーも今日が最後。思えば7日間もこの苦行を繰り返したが、やはり、まともなお湯が出るのは、シャワー終盤の30秒ほどだけであった。気合いを入れてソイヤと浴びないと、心臓マヒを起こす可能性もあると思います。

んな感じで、もはやパリに思い残すことなし!2段ベッドのいつもの位置で、ペラペラの毛布にくるまって眠るのです…。

17.Mar.Mon
写真の一部
から天気悪し。しかし、壁写真用にエッフェル塔をからめた写真を撮らねば、と思い立ち、三脚とペンタ67をかついで自転車に乗る。セーヌ川沿いを流して…と思っていると、ノートルダム寺院が見えた。
ートルダムなんて、学生時代以来だなぁ…と思い、ちょっと撮影。初めて来た頃は、真っ黒な汚れが目立っていたのだけれど、その後、来るたびにあちらこちら修復作業が行なわれていた。そして今、もう新築のようにピカピカのノートルダム。両方の姿が見られてよかったのかも。

 上りさんツアーはまだ続き、自転車でオペラまで走った後で(疲れたから)地下鉄に乗り換えてエッフェル塔へ。これも学生の時以来。シャンドマルス公園でひたすら日が射すのを待っていると次から次へと記念写真の撮影を頼まれる。みんなエッフェル塔をバックに楽しそうだ。

ちらは、何か苦行のように重たいカメラを抱えてあーでもないこーでもないと撮影。シャイヨー宮まで移動して終了。そういえば、シネアクアという新手の水族館がオープンしていたので、水族館マニアとしては行ってみたいところ。子供たちをかきわけてたどりついた受付で「19ユーロ50セントです!」と言われる。4000円近い!ディズニーランドか!と思って泣く泣くあきらめる。パリの物価の高さにまたもや敗北…。
方、パリ在住の友人宅に送られた僕の作品集を渡してもらう。ついでに洗剤1回分も。明日洗濯するためにどーしても必要なのだ…。
後6時、ネガティフプリュにて、CD-R引き取り。ダッシュで宿に帰ってパソコンで見る。思っていたよりも良い感じ。35mm、ブローニー合わせ60本のうちの7本分だが、繰り返し今も見ている。残りも早く焼きたい。

して夜、作品集とコソボの一部の写真を持ってパリのエージェントの人と会う。パリで、日本人写真家のことをこんなに考えている人達がいるのだな、と思う。良い出合いをすることができた。作品を世界に出していくためには、こうした出合いの積重ねが重要。
慌てず騒がず、媚びず惑わずに作品を生み出すしかない。今日が何かの始まりとなるようにしていきたいと思う。

、寒いパリをエージェントの女性と写真の話をしながら歩いた。写真と「言葉」の繋がり合いのようなことについて。特に僕の写真には、それが必要なのではないかと言われ、確かにそうだと思う。(前回の個展でも指摘されたし…)
彼女の紹介してくれたアルジェリア出身のオジサンのクスクス屋さん、美味しかったです。

16.Mar.Sun
植田正治など
曜日にパリですること…といって思い浮かぶのは、クリニャンクールの蚤の市!ということで、地下鉄に乗ってクリニャンクールへ。(良くも悪くも、僕のパリの知識は15年前に初めてツアーで来たときの経験がベースとなっている。多分、偏っている…)

土産用にフランスの古い新聞を買うのが目的。パリでは、「Le Petit Journal」の19世紀後半〜20世紀前半くらいのものが安く売られている。大体8ユーロから18ユーロくらい。精密なカラーイラストが表紙と裏表紙にあるので、当時の暮らしや人々の下世話な関心がよくわかって面白いのだ。
のが事件、事故系。気球が落ちて乗っていた人が血まみれになっているのとか、警官が暴漢に刺されて血を吹いているのとか、かなり流血シーンが多い。なかでも気になったのは、家族の寝室に覆面姿の強盗団が押し入り、夫婦を縛り上げた上で、ガソリンのようなものをまいている、というイラスト。「一体このあとどうなったんだ…」と心配せずにはいられない。
昔の事件は残酷だったんだなぁ…。しかし、あまりお土産向きではないな、と。

うしている間に、魚の図鑑の挿絵を発見。これも、昔から結構集めているのだが、19世紀、フランスが世界に進出すると共に作られた万物の図鑑(博物図鑑)のイラストがバラ売りされているのだ。(ビュフォンの博物誌などのイラストが集められた「世界大博物図鑑(魚類編)」を、僕は高校時代に1万4000円も出して購入し、模写しまくった。)
パラパラとめくると、割と普通の魚が並ぶ。「サケガシラ」(深海魚の一種です)のイラストの興奮。しかし、別の店で、なんと「リュウグウノツカイ」(同じく)のイラストを発見!しかも、ビュフォンの博物誌の挿絵である「打ち上げられたサメ」の図まである!
リュウグウノツカイのカラーが無いのが残念だが、この2枚は即買い!!…って、何1人で興奮してるんだか。

、お土産用には1895年の世界地図などを購入。第一次世界大戦前なので、オスマントルコとかオーストリア=ハンガリー帝国とか載っていて面白い。江戸からの改名直後の東京もちゃんと載っている。今日はなかなかいい買い物をしたなぁ…。

んなイラストをぶら下げて、そのあとは写真美術館めぐり。お天気雨の降る中、「ヨーロッパ写真美術館」へ。様々な作家の企画展をやっていて、一つ一つゆっくりとまわる。売店も含めて3時間くらいはいたかな。各写真家、かなり面白かったし勉強になったが、やはり、植田正治の展示が非常に良かったと思う。
日本にいるときは、植田の作品を、「戦前に変わった写真を撮る人がいたんだなぁ」くらいにしか思っていたのだが、パリで初めて見る植田のオリジナルプリントは、きっちりと繊細で本当に美しかった。
真集、出版と写真展での展示は全く違う。形式の違いだけではなく、「質量」の訴えるものが違うのだ。このオリジナルプリントの細かさは、絶対に印刷では出ない。ましてや、パソコンのモニターでの再現は不可能だ。いくつかの写真を見て、涙が出そうになった。今度、鳥取に行ってみたいと思った。

の展示を見た後で、ほかの展示を見たくなかったのだけれど、せっかくのパリなので、続いてアンリ・カルティエ・ブレッソン財団の記念館へ。ブレッソンは、「決定的瞬間」という言葉を生み出した人で、スナップの達人と言われた人。ブレッソンの写真が沢山見られるのかと思ったら、記念館のほとんど全てを使って企画展をやっていた。●●●●展。
この人も、街角スナップ中心。カメラに写っていることに気付かず、しかしいつの間にかその表情を作品にされた人達の50年前の一瞬が今に伝わることについて考えながら見る。
良い写真だとは思うが、もっとブレッソンが見たかった…。

らにモンパルマス墓地を抜けて、「カルティエ財団美術館」へ。森山大道、川内倫子の企画展をやったカルティエ。一体何をやっているのかと見てみれば……休みだった。
休館日は月曜のはずだが、どうやら今は展示の入れ替え時期らしい。次回展示は何と、パティ・スミス!見たい!…が、もちろん見れない…。

、結局石鹸を買ってシャワーへ。シャワーは相変わらず「水」で、5分流して30秒くらいお湯になることがある。こんな生活もあと2日ちょい…。

15.Mar.Sat
パリ観光!
食を食べて外に出るとパリに来て初めての青空!よって今日は“観光”することに。前々から、パリでは自転車か原チャリが移動手段としていいのに…と思っていたのですが、いつのまにかこの自転車乗り捨てサービスが普及していて、今日はコレを利用することに。

宿近くにもある貸し自転車スタンドで昨日買ったカードを使ってピピピとゲットし、サドルを思いっきり下げて出発。坂道をサーっと駆け下りて気分爽快。今日は、「部屋に飾るようの写真」を撮ろうということで、ペンタ67と三脚を持ってきた。
向かったのはモンサンミシェル。山のふもとで自転車を返却し、きつい坂道を登ってサクレクール寺院へ。絵はがき的なものと、そうでないものと色々と撮影。何だかんだで3時間ほどモンマルトルをウロウロしてしまった。

にかけて天気が悪くなる中、凱旋門も撮影。ジプシーのお金頂戴攻撃がすごいが、マケドニアのジプシーに較べて表情が明るいのが不思議。

1万を両替したら57ユーロにしかならないという驚愕の事実に接し、パリではもう何も買わない!と思って宿へ。20時すぎ、夜のエッフェル塔を撮ろうと思って外へ出るが、雨が降っていたので予定変更。シャンゼリゼで映画。宿に戻って半分水のぬるい(というか冷たい)シャワーを浴びる。コソボで使い始めた石鹸がもう消えかけている。帰国まで持たせたいが…。
14.Mar.Fri
パリ沈没…
くにいいランドリーがあるというので行ってみる。マケドニア以来、洗濯物がたまっていたので一気に洗っちゃえ!というわけで、3.8ユーロを費やして洗濯。30分ほどで洗い上がって、さらに乾燥1ユーロ。日本に較べるとやっぱり高いのかな?ここ15年ほど日本のコインランドリー使ってないのでわかんないけど。

っかくパリにいるのに相変わらず観光する気にもなれず、日本語でネットができる環境を求めて(後に、ホテルでもできることが判明するが…)オペラ座付近の日本関係の店が多い地区へ。途中、ブックオフやらジュンク堂やらがあって寄り道、立ち読み。超久しぶりに日本の新聞を読む。(1ヶ月ぶりくらい?)何か、日銀の後継総裁を巡る争いで与野党対立が激しくなっている模様。そして1ドルは99円台に…。ユーロも高くなって欲しいが、どうやらドルが1人負けしているみたい。円→ドル→ユーロと両替したらお得なのかな…。

して、パリの漫画喫茶みたいなところへ。ネットだけをやるつもりだったのだが、中に入ると、コーヒー紅茶は飲み放題、座敷もあるしマッサージチェアもあるし、何より、漫画や雑誌やガイドブックが読み放題!思わずマンガに手が伸びて…。インドやタイで沈没している人みたいに、「何もここでそんな…」ってな感じの時間を過ごす。でもおかげでかなりリラックスできました。

出ると、雲間からちょっとだけ晴れ間がのぞいていた。そして、昨日フィルムを出したNegatif Plusまで歩いて向かう。フィルム現像、しめて250ユーロくらい。早速ビューワで1枚1枚チェックする。もはや随分前のような気がするコソボ。
影から帰って来て写真を見て、がっかりするのはいつものことだけど、今回もまた最初はそんな気分に。現像で失望があり、発見があって、そうして作品になっていく。でもあのフィルム…もっと日本で練習してから望めばよかった。
思ったように撮れている写真もあれば、そうでない写真もある。後悔すれば切りがないが、とにかく、実際にどう撮れているのかを確かめるために、いくつかのフィルムをCD-R化してパソコンで確認できるようにする。完成は今度の月曜日。
、京都で一緒に働いていた人ご夫妻とお食事。ワインなんかも飲んで、色々とお話。帰りに、パリの貸し自転車システムをレクチャーしてもらう。パリ在住の人が身近にいると心強いなぁ。
ころで、学生街ムフタール通りのド真ん中にあるこのホテル。今日は金曜の夜とあって、夜中じゅう、酔客たちの声が響き渡っていた。騒ぐものからささやくものまで…ペラペラの窓ガラスごしに全部聞こえて来るのだ。そんな感じで目を覚ましたり寝たりの繰り返し。静かになったのは4時すぎくらいかな?そしたら朝は清掃車がザザザーッと音をたてて…。静かな環境を求める人にはあまりよくないホテルかもしれませんねぇ。
13.Mar.Thu
パリぶらぶら
23ユーロのこのホテルには、朝食もきちんとついていて、バゲットとクロワッサン。紅茶とオレンジジュース、それにコーンフレークも選ぶことができる。同室の皆さんと朝食。
そして街へ出て、まずはフィルムを現像所へ持って行く。パリのアーティストエージェントに聞いたその店は、「Negatif Plus」という店で、パリの堀内カラーといった雰囲気。コダックの看板もかかっているし、店頭ではPortraも売っているので、間違いはなさそうだ。店員さんが色々と教えてくれ、結局、フィルム現像だけを行なうことにする。(CD-R化は日本の方が安そう)

からは去年(一昨年だっけ?)まで同じ職場で働いていた人がパリに住んでいるので一緒に昼食したり散策したり。パリの生活やら会社のことやら色々お話。こないだまで京都にいたのに、パリでカフェにたたずんでいるのが不思議な感じ。

のあとは、写真関係の美術館をまわろうと、まずは「ジュドポーム」という美術館へ。写真というよりは映像系作家の展示。しかし、疲れているのか集中出来ない。消化不良のままギャラリーを出る。

うだ、飛行機を早めなきゃ!と思ってエールフランスへ。このままだと、パリで6泊もするスケジュールなので、2泊ほど削って週明けに東京へ戻ろうという目論みだ。
さて、エールフランスは確かシャンゼリゼにあったと思って行ったたのだが、昔の記憶が曖昧だったのか、ない。調べたらさっきまでいたオペラの付近で、またもやメトロで逆戻り。しかも、僕が買ったクラスの席は、出発日までまったくゼロ!何と、パリで1週間も過ごす事になってしまった…。

ひー、と、失意の中、雨のパリをトボトボと歩く。昔だったら喜んだかもしれないが、東京でやりたいことが沢山あるので残念無念…。夜、暇つぶしに映画館へ。ローランドエメリッヒの「10000」。原始人の映画なので原始人英語がわかりやすくて良かったが、お話は全くつまらず…。

化製品のプラグ変換アダプターをベオグラードに置いて来てしまったようなので、今日一日は、電話もパソコンも使えない状態だった。なので、fnacで変換プラグを買って、ホテルで試してみると…、何故か差し込み口のところに丸い縁取りがしてあって日本から持ってきたコンセントが入らない!これでまた「ひー」と思い、フロントのお兄さんからペンチとニッパーを拝借。試行錯誤を繰り返し、なんとか充電体制も整ったのでした…!

12.Mar.Wed
パリへ
前中は、ベオグラードで最後の撮影。三脚を立てたら警備員が出て来るので、手持ちで勝負。しかもフィルムは残りわずか。…などと緊張して行ったものの外に警備員はおらず、撮り終わった頃にやってきたくらい。僕はすぐさま立ち去ったが、ちょっと後を付けられたような気がした。(気のせいかも)
前11時すぎのバスでベオグラード空港へ。ドナウ川を渡ったネオベオグラードと呼ばれる地区は、再開発がすすんでいるのか、中心部とは違った明るい色合いのアパートが多かった。そして、驚くべき事に「営業中のマクドナルド」を発見!この街のマクドナルドは皆、焼き討ちされたと思っていたのでビックリした。できればバスを降りて撮影し、敷紙をゲットしたかったのだが…。
とは飛行機に乗るだけ、と思っていた空港で、戦闘機がズラリと並ぶ中に、ユーゴスラビア航空の古い機体が呆然と佇む異様な光景を発見。よく見ると航空博物館らしい。チェックインを済ませて、さっそく行ってみる。

から歩いて5分ほど。無理な横断を繰り返さないと辿り着けないような変な場所にある(どうせなら併設させればいいのに…)そこは、何人かの係員がたむろしているだけで客がまったくいない不思議な空間。200ディナールの入場料を払うと、係のおじさんが嬉しそうに半券を渡してくれ、奥からゴソゴソやって英語版のパンフレットを見つけてくれた。

大なドーナツ型の博物館は、あちこちにミグ系の戦闘機やユーゴ軍の初期に活躍したであろう複葉機、手づくり人力飛行機まで、あらゆる飛行機が展示されていた。特に第二次世界大戦中のものが多かったが、何よりも興味をひいたのが、1999年に撃墜された米軍戦闘機の数々。

見ればF16の尾翼、ガラスケースをのぞけばF117ステルス(!)のコクピットガラス、そして上を見上げればプレデターがぶら下がっているではないか…。他にも、トマホークミサイルやら何やら、米軍の置き土産のオンパレード。フライト時間ギリギリまで興味深く見て回った。

いのほか充実した空港をあとにして、2時間半かけてパリへ。一時は陸路で行こうかとも考えたが、空路にしてよかった…。
での心配事は、まず宿を確保すること。色んな人にメールで相談したものの、なかなか20ユーロくらいで泊まれるところはなく、結局、「歩き方」に載っている中でも安そうなところに電話。「いつも混んでいる」と書いてあったのでダメモトでかけたら、「どうぞ、いらっしゃい」との事で、あっさりと決定した。

RER、メトロと乗り継いでやって来たのはカルチェラタン。大学街のすぐ側の、学生向けのリーズナブルなお店が並ぶムフタール通りにその宿はあった。その名も「ヤング&ハッピーホテル」。さすがにヤングではない僕ではあるが、無事に泊めてもらえるようだ。1泊23ユーロ。とりあえず、4泊おさえる。

物置き場と化しているテーブルを中心に2段ベッドが3つ並ぶ部屋。同室は、アメリカ人男子2人、カナダ女子1人の3人組と、アルゼンチンの女の子1人、オーストラリアの男子1人。こういうところは男女同室なので、最初はちょっと戸惑う。

ういえば、朝からロクに食べていなかったので、近所のビストロへ。10ユーロくらいの定食。やはりフランスだけあって美味。飲み物頼んでデザートを高いのにしたりして、あっという間に20ユーロに。宿代と同じだ…。

宿帰って二段ベッドに横になると、目線の真下にムフタール通りが見え、パブの外で話し込んでいる若者が見える。当然のごとくやかましい。しかしここはパリ、そんな雰囲気も含めて味わうこととしましょう…。

11.Mar.Tue
ベオグラード撮影
オグラードの朝は寒かった…。部屋に暖房がなく、毛布だけが頼り。毛布が2枚もあるのは、そういう事か、と納得。
に恵まれたのでカメラと三脚を背負って撮影に出発。昨日、大体の位置関係をつかんでおいたので、ホットドッグをかじりながら現場へ。脚を据えたペンタ67で色々と撮影。道を挟んで撮影中、信号にひっかかったバスが、撮影できるようにわざと後ろで停まってくれたりして感謝。一人一人はいい人たちなのは間違いない、と思う。

オグラードは、石造りの巨大な重厚な建築物が立ち並ぶ威厳のある街で、華麗な装飾も、街を行く美しい人達も印象深いが、同時にアメリカとの複雑な関係性を示すものも数多く目につく。そんなものを時間をかけてフィルムに刻んでいく。と同時に明日のパリ行きのチケットも購入。前日に片道の国際航空券は高い…。

後から天気は悪くなり、雲間からパラパラと雨が降って来る。もう撮るものも撮ったしなぁ…と、街をブラブラ。宿のセキュリティが心配なのでフィルムを全部持ち運んでいるのと、カメラ2台のレンズ2つがカバンに入っている。何か、お米背負って歩いているようで、観光する気ゼロに。肝心の地球の歩き方も忘れて来たので、どこに何があるかもよくわかんない。

ナウ川を見下ろす高台でゴロゴロした後、ふと軍事博物館があるのを発見。これは何か面白いものがあるかも…と思って入ると、「5時でおしまいだから駄目!」との返事。「いや、5時まではあと5分あるから5分だけでも!」と押し問答し、何とか「ならご勝手に!」という返事をもらう。

事博物館の奥に急いで進んで行くと、そこは暗闇に沈んでいた…。どうやら既に店じまいするつもりだったようで、館内真っ暗。博物館というより、お化け屋敷。しかも、数百年前には人の生き血を吸っていたであろう刀や剣やその他、手錠とか何とかあって非常に怖い。
しかも、入り組んでいたのを奥に来たから帰ろうにもよくわからずにウロウロ。リアルお化け屋敷に潜入してしまった感じ…。

「!」と思うと、先程は冷たかったオバサンが迎えに来てくれていた。「ありがとう、もう十分です…」と帰ろうとすると、「こっちを見て行きなさい」と、灯りの付いた部屋を案内される。「こりゃ親切にどうも…」と入って行くと、そこは、ボスニアやコソボ、そしてアメリカ(NATO)との戦争関係の部屋だった。

メリカが投下した爆弾や、撃墜したF16やF117(ステルス)の破片、パイロットスーツなどが展示されている。厳重に透明なケースに覆われているのは、放射能マークからして劣化ウラン弾に違いない。ほかにも、つい最近まで人を殺すために使われていた品々が沢山。コソボでは英雄視されている「KLA(コソボ解放軍)」の制服も、戦利品の一つとして展示されていた。刃渡り30センチほどのノコギリには、「人間の血がついたままのノコギリ」と、わざわざキャプションが付いている。
物館のオバサンは、これを見せたくなったのか、それとも、僕がこれを見に来たのかと気をきかせてくれたのか、5時を過ぎてもジックリと見せてくれた。ちょっとショックは大きかったが、とても意味のあるものを見せてもらったと思う。

り際、本屋でユーゴ戦争の軍事的な本を2冊購入。その際、書棚でスティーブ・マッカリーの「EAST ASIA」が展示されているのを発見。中を見ることはできなかったが、表紙のチベット少女の写真に感動。帰国したら絶対買おうと思う。そして、やっぱり写真はいいなぁと深く思う。表紙のたった1枚の写真に圧倒された。

宿帰って、日本から持って来たDVD「ウェルカムトゥサラエボ」を観る。何年か前に観たはずだけれど、当時はユーゴ戦争のこともよくわからず、サラエボに行ったこともなかったので、あまり頭には残っていなかったのだ。そして今、サラエボにとっては加害者側であるセルビアの首都ベオグラードでこの映画を観る。途中、何度も涙が出そうになった。

して、自分が撮って来た写真は、あれでよかったのか?と思い返す。マイケル・ウィンターボトムの描いたことに較べて、あれでよかったのか?と。較べることではないのかもしれないけれど、そんな思いを通じて、とても大きな刺激を受けた。
明日、パリに飛ぶ。その前に、ベオグラードでもう一枚だけ写真を撮ろうと思った。

10.Mar.Mon
ベオグラード到着
朝、ネットが繋がったのでメールをチェックすると、Googleアラートで「セルビア議会が今日にも解散」とのニュース。コソボ独立を巡る対立は、セルビアの連立政権を引き裂いたようだ。
んなセルビアの首都ベオグラード行きのバスは7:45発。重すぎる荷物(ほとんど三脚とペンタ67&レンズの重さ)を抱えてバスステーションへ。水とパンを買って出発、さらばマケドニア。走り始めて1時間もしないうちに国境へ。
ケドニアを無事に出国し、セルビア側の入国係官がバスに乗り込んで来る。セルビアの警官なので腰には拳銃。僕のパスポートには、コソボの(正確には国連コソボミッション:UNMIKの)スタンプが押されているので、内心ドキドキ。パスポートをペラペラとめくり、UNMIKのスタンプのページで一瞬動きが止まったときは、「ヤバイ」と思った…。

としては、お金もパソコンも取られてもいいから、フィルムだけは何とか守りたい。去年、別の国で本当にフィルムを没収されそうになったことがあったので、利害が対立する国の国境越えはドキドキするのだ。何か最近、緊張しながら国境を越えることが多い。(イラクの国境とかもかなりドキドキした)
、バスは無事に走り出し、パスポートには無事に入国スタンプが押されたのでめでたし。

はセルビアの田舎道をひた走る。道の両側には畑が広がり、農民の夫婦が、あるいは親子が種まきをしている。別の畑ではまかれた種を鳥たちがついばむ。あちこちに桜が咲き、他にも黄色い花や白い花が春を告げ、典型的な農村風景を明るく染め上げている。
空は高く、青く、緑は限りなく濃い。そんな光景がどこまでもどこまでも続いていた。

んな農村からセルビアの警察や軍隊に入った人間が、ボスニアやコソボで殺戮を行なったのだろうか?かつて日本の兵士たちが田舎の村から出征していったように、本来なら畑作りにいそしむような人々が銃を持ち、かつて隣人だった人々を殺したのだろうか…。
そんなことをぼんやりと考えていた。(勿論、セルビア人だけが一方的な加害者だけではなく、悲惨な思いをし、また殺害されているセルビア人もボスニアやコソボには沢山いる)

15時半すぎ、バスはベオグラードへと到着した。およそ8時間の旅。バス乗り場にたむろするタクシードライバーを振り切って、宿探しをする。
お金をかけたくないし、面倒くさいので駅前の安宿に入ることにする。1500ノビディナールでおよそ3000円くらい。カジノの裏手にある宿泊所みたいなところで、部屋にはベッド2つと洗面台。ドアは壊れかけで、ノブを引っ張ると、そのままブラーンと外れそうになる。
毛布にはタバコで空いたと思われる穴。机の引き出しもタンスもゆがんでガタガタだ…。
、多くは望むまい。そんな宿にインターネットなどある訳もなく、とりあえず町へ出てネットカフェへ。いくつか連絡しなくてはいけないことがあるのだ。ちなみに、コソボでも(一部)使えたNTTドコモは、電波は3本あるものの、通話しようとすると「セルビアテレコムにご報告を」というアナウンスが流れて、通話出来ない。さすがセルビア!情報管理が厳しい。

ットカフェは結構多いセルビア。残念ながら日本語フォントは使えず。しかし、この不便さこそが「旅」って感じだよなぁ…と深く納得。思えば、初めて旅をした頃はネットなど普及しておらず、たまに電話局に入って日本を呼び出してもらって…という大変な作業をしていたものだ。(古い?)

れにしても、パソコンの画面を見るだけでクラクラしてくる。チカチカするモニターが悪いのか、目をそらしたりしながら作業する。「遂に体調を壊したか?」とも思ったが、よく考えたら昨日の昼からほとんど何も食べてない。昨日の夕飯も食べず、朝、ちょっとパンをかじった程度で24時間以上経っているのだ。

な訳で、中華をガッツリと食べることに決定。ベオグラードで中華というのもオシャレな気がする。入ったのは「歩き方」にも載っている「北京飯店」。牛肉のオイスターソース炒めとチャーハン、心に沁みる美味しさでありました。

の後、元気になったので、賑わう町を歩いたりカフェでマキアート飲んだりしてダラダラ。町の印象などはまた明日書きます。

は、鍵も閉まらない汚いシャワー室でシャワーを浴び、買った時瞬間、キャップから水がポタポタ流れ出ているペットボトルの水を飲みながら眠るのです…。あー疲れた。。。

09.Mar.Sun
スコピエにて
NTTドコモの携帯電話、905iシリーズですが、これは恐ろしい携帯です。何故ならマケドニアでも普通に日本と通話出来てしまうのです。今まで、目覚まし用にしか使えなかった携帯ですが、今朝は普通に電話がかかってきました。しかも朝5時…。

、コソボでも空港とか、ちょっと地方に行ったときとか、場所によっては電波が入る(ローミングですが)ところがありました。こないだもアメリカにいて、不動産屋さんから電話がかかってきましたが、全く違和感なく(あとで請求が多くてビックリするかもしれませんが)話すことができました。

れは便利な機能ですが、同時に「旅」というものの神聖性を削ぎ落とす機能でもあります。日本とか、日常とかと断絶して自分に向き合うことができるのが旅であると思いますが、そうした結界をたやすく突破されてしまうからです。…とか言いながらほとんど鳴らないからいいんですけど。

ケドニアでは、ちょっと足を伸ばせば世界遺産の「オフリド湖畔」に行ってビザンティン文化の世界にひたったりできるのですが、今回はゆっくりすることがポイント。あくまでも旅の「中休み」なのです。代わりにユースの近くに咲く「桜」を観賞。日本の桜とはちょっと違う種類ですが、まごうことなき桜。ヨーロッパの田舎の風景にある桜というのもピタリとはまるものです。

、コソボからマケドニアに出国したのは、セルビア共和国に入るのが目的。コソボは「あくまでセルビアの一部」とするセルビアへは、コソボから直接入る事はできません。そういった訳で、一度第三国へ出国することが必要な訳です。

日の仕事はベオグラード行きのバスチケットをゲットすること。ユースから歩いて5分ほどのところにあるバスステーションで「ベオグラードに行きたい」と告げると、売り場のお姉さんが手書きで時刻表をバババっと書いてくれました。朝5時から夜中まで、頻繁に出発しているようです。ちょっと悩んで、明日の朝7:45の便を選択。1000DEN(デナル)でおよそ3000円。

コピエは、文化の入り混ざった街です。教会のすぐそばにモスクがあり、金髪の人も黒髪の人も同じように暮らしています。
ーゴスラビアという国はそもそも様々な民族が暮らす地域を第一次世界大戦の結果でゴチャっとくっつけて作られた国でした。その中に作られた共和国が、共産主義の崩壊とともに独立していく訳ですが、引かれた国境線と民族の境界線が一致しないがために、20世紀も終わりの時期にナチスさながらの残虐行為が繰り返されました。
ある日突然、村の男たちが連れて行かれて、集団処刑されてしまう、なんていうことがつい数年前まで行なわれていたのです。
の中でも比較的穏やかに独立したのがマケドニア。お隣のコソボでも、教会とモスクが混在していますが、今、教会は閉鎖されて鉄条網で囲まれ、周囲にはKFORという軍隊が目を光らせています。そうしないとセルビアに虐げられたアルバニア人が復讐の拳を振り上げてしまうから。

から、スコピエで教会とモスクが当たり前のように共存しているのを見て、あぁ、これはすごい事なんだなぁ…と思ったのです。「違い」を受け入れる寛容。この当たり前のものが一度失われると、もう取り返しがつかないものになってしまう。

ちろん、マケドニアにも問題は沢山あります。ロマと呼ばれる人達、いわゆるジプシー。昨日、バスで着いたときからあちこちで物乞いしているのを見かけました。ヨーロッパではよくある光景かもしれませんが、マケドニアではちょっと激しいな、と感じます。

場周辺を縄張りにしている10歳くらいの男の子。昨日、彼は煙草を吸いながら町を歩いていました。「!」と思って驚くと、後から付いて来た7歳くらいの女の子も同じく煙草を吹かしながら歩いて行きます。

ばらく観察していると、どこかの観光客がこれを面白く思ったのか、煙草を吸う子供たちと一緒に写真を撮り始めました。当然子供たちは金をせびります。観光客はある程度の小銭を払ったのでしょう。しかし、子供たちはそんなものでは満足しません。立ち去ろうとする観光客を追いまわし、女の子は西洋式の土下座(祈りを捧げながらひざまずく)を繰り返し、足にしがみつく…。

日はどうしているかと気にして見てみると、観光名所となっている橋の上で、1人が死んだように倒れていました。もう少し進むと、男の子が泣きながら何かを訴えています。その横を、アイスをなめる子供とか、楽しそうな観光客が見てみぬふりで通り過ぎます。みな、「ロマの物乞いの一つのパターンだろう」と思っているのです。そして僕もまた。何と言う現実。

曜日とあって、トルコ風の旧市街はほとんどお休み。レストランだけはやっていたので、オープンエアの気持ちの良い場所で食事。すると、赤ちゃんを抱いた女性が座り込んで、物乞い開始。観光地だからかもしれないけれど、そんな光景ばかりが目につきました。

うして僕はこの国を通り過ぎます。明日はいよいよセルビア。さきほど通じた時に見たネットのニュースでは、コソボ問題をきっかけに首相が辞意を表明し、内閣総辞職になるとか。政情が不安定になると、デモなんかもあり得るかも。気をつけねば…。何と言ってもザックの中には「コソボ独立おめでとう」グッズが結構入っているのだから……。

08.Mar.Sat
超久々
   日記!
久々の日記です。2004年の3月からほぼ毎日のペースで更新してきた日記ですが、去年に入った頃から更新が滞りがちになり、心ある人からは「日記の更新待ってますよ!」なんて言われながら日々は過ぎ…。この1年、色々とありました。テレビの仕事も大変に忙しく、写真に関してはきちんとした発表ができない1年だったと思います。

、8月に京都から大阪に職場が移ったところで日記が途絶えていたんですが、徐々に忙しくなり、10月に海外で撮影をしたものの、まとめる時間もなく、11月(大阪市長選でバタバタ)12月〜1月(大阪府知事選で大変)が瞬く間に過ぎ、2月半ばから1ヶ月ちょいの長い休暇に入りました。

んな訳で2月半ばからほぼずっと(2日だけ東京に帰りましたが)海外にて作品撮りに取り組んでいた次第で、その詳しい事はいずれ何らかの形で発表したいと思っております。で、今日ようやく作品撮りも一段落して、今、このユースホステルに落ちついた、という訳です。

うそう、どこにいるかというと、バルカン半島のマケドニア共和国の首都、スコピエという町におります。マケドニアというのは、アルバニア、セルビア、ブルガリア、ギリシア、そして先月独立宣言したコソボ共和国に囲まれた内陸国で、『歩き方』によると、九州の3分の2程の面積だそうです。

界史で習うアレキサンダー大王のマケドニア王国がまだあったのか?と思いがちですが、民族的にも地理的にもマケドニア王国を継承している訳ではなく、旧ユーゴスラビアでマケドニア人が居住していた部分が91年に独立したのが今のマケドニア共和国。
“マケドニア”という名前を使われたことで本来のマケドニア人であるギリシアは激怒していて、今のマケドニアは、外交的には「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」として区別されています。
なんか「アーティスト旧プリンス」という名前を思い出します。まぁいいか。

もって何でマケドニア共和国にいるかっていうと、先程までずっと「コソボ共和国」にいたのです。コソボについては、できれば別の形で発表したいと思っております。この日記では、それ以外の部分を書いていきたいと思います。

は、午前中にコソボの首都プリシュティナをバスで出て、国境を越えてここスコピエにやってきました。宿が高いと評判のスコピエ、重い荷物を背負ってやってきたこのユースホステルの部屋が空いていたので、早速チェックイン。
たまにネットが繋がったり繋がらなかったりするので、久々にmixi(マケドニア情報とか、歩き方より詳しかったりする)のぞいたりしてから、たまった洗濯物をゴシゴシと洗濯。

ながら洗濯機はないらしいので、洗面台の流しに、靴下を片方突っ込んで水をためてジャブジャブとやりました。(バックパッカーの古典的手法ですな)35歳にもなって何やってんだか、ですけど異国で無心になってゴシゴシやるのは結構いいもんです。

れたので町の印象などはまた明日!結構気に入ったので、1泊の予定を2泊に変更して過ごします…。