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26.Sep.Fri
【アヴェドン展】
に来るなら、写真のファイルを持ってくればよかった…と激しく後悔する。3月に声をかけてもらったエージェンシーに、ファイルをプレゼンできる絶好の機会だったのだが…残念。11月の都写美用のファイルを送ることにしよう。。

24.Sep.Wed
【パリへ行くことに】
れにしたって天気が悪いので嫌になってしまう。そんなこんなで、ブエリング航空という、バルセロナベースの格安航空会社でチケットをゲットし、残りの期間をパリで過ごすことにした。特に意味はないのだけれど、まぁ、好きなんですね、パリが。
気悪っ!と思っていたバルセロナも、出発の朝には晴れて、ちょびっと後悔。来たときとは違う、綺麗なターミナルにあるブエリングは、ネットで申し込んだ時にもらったコードを教えるだけでチケットがもらえる。黄色をイメージカラーにした可愛い飛行機。格安航空会社が集まるこのターミナル、見渡す限りの航空会社に全く見覚えがなく、オモチャの飛行場みたいで楽しい。

2時ほどのフライトでパリに到着。地下鉄に乗ってレピュブリク広場付近のホテルへ。3月に、自転車でグルグル走ったあたりだ。まぁ、しばらくパリでまったりしよう。
一応、パリの「歩き方」を買うためにブックオフへ…。スペインをガイドブックを売ったら10ユーロ近くになる。「日本から古本集めてパリのブックオフに売ったらかなりの財産を作れるのではないか?」と真剣に思わずにはいられなかった…。

23.Sep.Tue
【バルセロナの
 ザリガニと
 サグラダファミリア】
14年前にバルセロナに来たとき、街にはまだ「バルセロナオリンピック」の余韻があった。モンジュイックの丘は、有森裕子がマラソンで苦しんだ土地として耳に残っていたし、マスコットキャラクターの「コビー」も、NHKでアニメをやっていたから、親しみがあった。

♪コビー! 夢が叶うよ〜 青い〜 バルセロナの海辺〜…

という歌が、今も耳に残っている。もう、ほとんどの人が忘れていると思うけど。。。

、街の中にコビーの姿は見られない。しかし、同じ人がデザインした「デッカイザリガニ」の像は、今も海辺にたたずんでいた。14年前、「お!コビーの顔したエビだ!」と写真を撮ったのだけれど、それと並べるために写真を撮る。恐らく、何も変わっていない。当たり前だけど…。

一方、変わった!と思われるのは、バルセロナの代表的建築物、というか、代表的工事現場のサグラダファミリア。14年前に記念写真を撮った土台みたいな場所を探したのだけれど、どうにもよくわからない。ようやく「ココだ!」と思える場所を見つけたものの、大きな木が邪魔していて、ここを土台に記念写真を撮ることは不可能。どうやら14年の歳月で、木が大きく育ったようだ。

して、サグラダファミリア自体もまた“成長”した。前は、全体的に「ヒョロっ」としたイメージがあったのだが、奥に、かなりボリュームをもった建物が出来てきていて、全体的に「ガッシリ」した感じになってきたような気がする。

金繰りがうまくいったり、技術が進歩したおかげで、当時は「あと200年」とか言われていた完成予定が、「2020年には完成」と、変わったらしい。これまたエラい変わりよう。2020年の完成のときには、オリンピックをしのぐ、「バルセロナブーム」が起こるんだろうな…。

22.Sep.Mon
【夜中の大騒ぎ】
に目が覚めると、街は相変わらずざわめていた。シエスタの国だし、夜更かしが当たり前…とも思ったが、窓の外を見てみると、尋常ならざる数の人々が行き交っていた。一体何が起きているのか?ちょっくら偵察、という訳で夜中の3時に外で出てみる。

のホテルは、バルセロナの目抜き通り、ランブラス通りのすぐそばにある。缶ビールを片手に大声で語り合う若者たちをすり抜けてランブラスに行ってみると…そこはまるで昼間のような人通り。通りの真ん中は大きな遊歩道になっていて、そこに出ているキオスクも、普通に営業している。

「サッカーでバルセロナが優勝でもしたんだろうか?」。時刻はもう4時近い。いくらなんでも、普通は家で寝ている時間だろう。だいたい、みんな酒を飲んでいるからウルサくてたまらない。そして、道には、缶ビールを売る青年が右に左に立っている。
まぁ、元気なもんだな、と、こちらは水とケバブを買って帰った。歩き方によると、24日にバルセロナの聖人のお祭りがあって、どうやらその前祝いで「お祭りウィーク」になっているらしい。

、トマトを投げ合ったり牛に追いかけられたりと、お祭りには命懸けで挑む国である。祭り前の徹夜騒ぎというのも、ごくごく当たり前のことなのかもしれない…。

れにしても、天気が悪い。スペインは今週いっぱい雨模様らしい。今日は一日体調が悪く、現代美術館で動けなくなって無意味な時を過ごし、さらに雨に濡れたままホテルに帰って寝込むという最悪な一日だった。わざわざ海外まで来て寝てすごすとは…。
「旅に病んで夢は枯野を…」という感じである。

21.Sep.Sun
【ソルイソンブラ】
ル・イ・ソンブラという言葉が好きだ。「ソル・イ・ソンブラ!」という響きは、なんか魔法の呪文のような気もするし、陽気なスペイン語!という感じもする。意味は「日なたと日陰」。闘牛場で、前半は日なた、後半は日陰になる席のことを言う。

僕は、14年ぶりにこの「ソル・イ・ソンブラ」という言葉を使って闘牛場でチケットを買った。チケットは25ユーロ。闘牛場の中でも最も安いチケットである。

方5時半、闘牛場の外には、「反闘牛」運動家の人達が血みどろの牛の写真を掲げて「闘牛反対〜!」と叫んでいた。闘牛はスペイン各地で行なわれているが、毎回決まって6頭の牛が、極めて残酷な形で殺される。動物愛護団体や、動物を愛する心ある人からすればとんでもないことで、実際にバルセロナ市議会は、「闘牛の廃止」をすでに決定しているという。

れでも、会場には溢れんばかりの人が押し寄せ、ソルイソンブラゲートはオシクラマンジュウ状態。長い階段を昇ってようやくたどりついたのは、本当に最上階の端っこの席。すり鉢の底で競技が行なわれるとするならば、すりばちの淵のところから観戦する形だ。
を見るのもやっぱり14年ぶり。あの時はガラガラだったけれど、今日は大入満員。なのある闘牛士が来ているのだろうか?
やがて歓声の中で闘牛が始まり、「オ・レ!」の歓声の中で牛が倒されていった。

ンディズムの塊のようなマタドール。帽子を投げ捨て、歌舞伎の見栄の如きポーズで牛に近づき、足を一切動かさず、体をグニャリとひねって牛をヒラリとかわす。泥臭い騎士道が、今、ここに闘牛という形で残っている。その一挙手一投足に観客は声援を送り、ハンカチを振って栄誉を称える。一番安い席で、その姿をじっと見つめる痩せこけたオジイサンが、ひたすら渋く格好良かった。

、そのマタドールの中で最も実力者だったのは、2番目に出て来た緑色の人。ほかのマタドールが「トドメ」に手こずる中、彼は鮮やかに牛を仕留めてみせた。そして、終盤にさしかかった5回目の闘牛。緑色のマタドールは、大歓声を背負って再び現れた。

実力者であることは、周りの雰囲気が物語っている。もちろん僕は素人なのでちゃんとはわかっていないのだろうが、それでもやはり、彼の身のこなしは、鮮やかだと思う。その彼に対して、牛も果敢に闘った。逃げ場のない環境の中で、必死に向き合い、マタドールに突進む。そのとき、観客達から「オ・レーオ!オ・レーオ!」の大歓声。これは何を意味するのか?
興奮の中、牛がやってきた通路のドアが再び開かれ、マタドールのマントは牡牛をそのドアにむかっていった。そしてマントに突進した牛が、その通路の向こうに消え…

歓声。牛が、生きたまま闘牛場を出ることもあるのだと、初めて知った。どうしてそういうことになったのかは今イチよくわからないが、1万頭に数十頭くらいの割合で、牛が勝利(?)することがあるらしい。
牛を生かしたマタドールは、万雷の拍手の中、派手に見栄を切り、鮮やかに頭を下げた。観衆は白いハンカチをグルグルと振り回し、さらに拍手を贈る。
何か、ものすごい貴重なものを見れたのだ…と思う。

20.Sep.Sat
【再びのバルセロナ】
休み、ということで向かった先はバルセロナ。最近は、コソボ行ったり中国行ったりしていたので、所謂“フツー”の国でも行ってみようか、という感じである。成田からパリ経由で、夕暮れのバルセロナに到着。灼熱の太陽の恵みをうけたカタルーニャの大地は…完全に雨模様であった…。

ルセロナに来るのは、何と14年ぶり!!大学3年生のときに、友人たちと45日かけてヨーロッパを巡った時以来である。それにしたって14年というのは…信じられないくらいに時が経っている。あの頃、生まれた子供はもう中学2年生になっている訳だ。う〜年をとったものである。

テルに着いたものの旅の疲れですぐに眠ってしまう。これも年でしょうか…。

.Sep.
【大相撲の一番長い日】
相撲が大変なことになっている。思えば相撲史は、力士や親方のトラブルの歴史でもある訳だが、北の湖理事長時代の一連の不祥事は、平成の大騒動として、相撲史に大きな汚点を残す事になるだろう。
2.Sep.Tue
【なんとか終了…】
きなり大きな出来事(=首相の政権投げ出し)に遭遇しながらも、何とか今日の放送は終了。福田首相の「アナタとは違うんです」発言は、あの会見の一番のキーワードとして、あらゆる番組で紹介されていた。

に、福田首相の感覚は、アナタ=一般市民の感覚とは“違う”のだ。福田康夫の人間性を一言で的確に表現したと言える。ある意味、名言。

1.Sep.Mon
【またしても…】
から、仕事の内容が変わる。まぁなんというか、番組が何をするべきか、ということを考えるような仕事になる、ということで、何日か前からずっと、あーでもない、こーでもない、と考えていた。あまりパッとしないながらも、何とかラインナップを考え、準備をしていた矢先…。

「福田首相が午後9時半から緊急記者会見」との情報。

見?なぜ突然?内閣改造したばっかりだし…、事務所費問題の太田農水相関連か?いや、それで首相会見はないだろう、北朝鮮関連の進展か?などと思いを巡らす。そんな中…

「福田首相が辞めるらしい」との情報が…。

める?このタイミングで?…バタバタとしつつも、次第に情報は確かなものになっていく。そして午後9時半、辞任記者会見開始。「ねじれ」はわかってて引いたはずの“貧乏くじ”だったくせに、「自分は一生懸命やったけど野党がいじわるした!」という内容の逆ギレ会見だった。
そして名言…

「私自分を客観的に見ることができるんです。アナタとは違うんです!」

…こまで自分を客観視できない人も珍しい。

まで散々言われてきた福田政権だが、確かに、福田首相の言うように、周りのアシストが無さすぎた、とは思う。そもそも1年前、麻生太郎との一騎打ちとなった総裁選のとき、「福田さんは安心感がある」「安定感がある」などと褒めそやしていたのは、日本の国民だったし、僕はその声を実際に生で聞いた。就任当初の支持率は、6割以上あったのだ。

れが、1ヶ月、2ヶ月経つうちにズルズルと低下。「大連立」に失敗し、福田首相が生み出した訳でもない「後期高齢者医療制度」や「年金記録問題」で政権の信用はガタ落ち。
“安定感”も“安心感”も吹き飛んで、いつしか「辞めろ」という声が大勢を占めるように。
福田首相の肩を持つ訳では決してないし、街で「安定感がある」と言った人に、総裁選の投票権が無かった事もわかっての上だけど、でも、こうなること、わかってたのでは?
と、強く思う。

安倍首相が政権を捨てた反動で、雰囲気で「おじいちゃん」を支持しておきながら、「次はやっぱり麻生さん」なんて、コロリと豹変する。そんな世論ではダメじゃないかな。このまま、麻生総裁になっていくのだとしたら、この福田政権の1年は何だったんだ?最初から麻生が総裁になっていればよかったじゃないか?と思う。

りあえず、今まで書いていたラインナップを全て消して、新しい構成を決めないといけない…。今夜は徹夜になりそうだ…。